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オナニーの場面

Netflixの韓国ドラマ「マスクガール」を楽しんで見ている。

「マスクガール」は、論じるに値する傑作だと思うので、別にちゃんと論じたいが、ここでちょっと触れておきたいのは「オナニーの場面」である。

ドラマの中で、男性のオナニーの場面が出てくる。

以前から、韓国の映画には、男性のオナニーの場面が多いと感じていた。

すぐに思い出すのは、「殺人の追憶」とか「公共の敵」とか。

日本の映画・ドラマでは、男性のオナニーの場面をあまり見た記憶がない。あるとしても、韓国のそれより、かなり婉曲な表現になっていると思う。私が知らないだけかも知らないが。(もちろん、ポルノ以外で、という意味)


韓国の映画・ドラマに出てくるオナニー場面は、とくに性的な扇情効果を狙っているというより、男の「日常」の一部として出てくる。

オナニーをしている男性が、性的弱者(「殺人の追憶」)の場合もあるが、妻帯している社会的強者(「公共の敵」)の場合もある。

印象としては、オナニーで何か特別なことを表現したいというより、それが日常の一部だから映している、という感じだ。

しかし、日本の映画・ドラマの中では、あまり描かれない「日常」だから、強く印象に残る。(それが「リアリズム感」を強めているのは確かだと思う)


セックスの表現や表現規制は比較的話題になるが、オナニーについてはどうなのだろう。

私は別に、オナニーをもっと描くべきだ、とか、描くべきではない、とかいった意見を持っているわけではない。

オナニーは恥ずかしくない、とか、いや恥ずかしい、とかいう意見もない。

ただ、あまり議論されない性文化の問題、または表現の問題だと思い、以前からうっすら意識していたのだが、「マスクガール」でまた思い出されたので、書いてみました。



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