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【追悼】ドナルド・サザーランド 名脇役、若い頃は反戦の闘士

ドナルド・サザーランドの死が、日本時間21日の夜中2時過ぎ、息子のキーファー・サザーランドによって伝えられた。


悲しみを込めて、父・ドナルド・サザーランドの逝去をお伝えします。わたし個人は映画史で最重要の俳優だと思います。善玉も悪玉も、醜い役も怯まずに演じました。やりたいことをやり、そして満足していました。それ以上何が望めるでしょうか。見事な一生でした。

With a heavy heart, I tell you that my father, Donald Sutherland, has passed away. I personally think one of the most important actors in the history of film. Never daunted by a role, good, bad or ugly. He loved what he did and did what he loved, and one can never ask for more than that. A life well lived.(日本時間2024/6/21 2:10)


死因は長い闘病の末(long illness)としか発表されていない。

Xのタイムラインは追悼一色になっていた。



1970年の戦争風刺映画の傑作、ロバート・アルトマン監督「M*A*S*H」が出世作。

ジェーン・フォンダとベトナム反戦運動をやっていた、という印象があるので、わたしの感覚だと、「若い」世代の俳優だったが、もう88歳だったとは。わたしも歳をとるはずだ。


ジェーン・フォンダと同志的恋愛


1971年、ドナルド・サザーランドとジェーン・フォンダらは、軍人向け慰問団「FTAショー」を組織して、アジアの米軍基地を回った。

ボブ・ホープらが「戦争賛成」で軍隊を慰問して回っていたのに対抗したもので、日本や(当時米領の)沖縄にも来ている。反戦的メッセージで物議をかもしながら、軍人たちには大人気だった。

ジェーン・フォンダとドナルド・サザーランドのベトナム反戦ドキュメンタリー映画「F T A」(1972)予告編(FTAはFree The Army またはFuck The Armyの意味。当時の米軍のスローガン「FTA」「Fun, Travel and Adventure」をもじったもの)


ジェーン・フォンダとドナルドのシュプレヒコール。上記予告編のスクリーンショット。フォンダがオスカーを取った映画「コールガール」(1971年)で共演した二人は恋愛関係だった

ドキュメンタリーの中で、ジェーン・フォンダは日本の「ベ平連」のヘルメットをかぶっている


東京での別れ


ジェーン・フォンダ(86歳)は、インスタグラムで、かつての恋人にして同志の死を悼んだ。


ドナルド・サザーランドが亡くなったと聞き驚いています。「コールガール(Klute)」の魅力的な共演者であった彼とは、楽しい活動を共にしました。ここに紹介したのは「コールガール」撮影中のアラン・パクラ監督との写真です。ドナルドは名優であると同時に、私と数々の冒険を共にした深みのある男でもありました。ベトナム反戦活動のFTAショーでは、6万人の現役兵士のために共演しました。1971年に、ハワイ、沖縄、フィリピン、そして日本を回りました。私は深い悲しみの中にあります。

I am stunned to hear that Donald Sutherland has died. He was my fascinating co-star in Klute and we loved working together. In this photo we are on the Klute set with director Alan Pakula. Donald was a brilliant actor and a complex man who shared quite a few adventures with me, such as the FTA Show, an anti-Vietnam war tour that performed for 60,000 active duty soldiers, sailors, and marines in Hawaii, Okinawa, the Philippines, and Japan in 1971. I am heartbroken


ドナルド・サザーランドは、2008年のインタビューで、ジェーン・フォンダと破局したのはFTAツアー中の東京でのことだったと語っている。3年ほどの付き合いだった。


「ジェーン・フォンダとは『コールガール』で共演する少し前から付き合いはじめ、東京で破局を迎えるまで一緒に暮らした。破局によって私は打ちのめされ、魂が抜かれたほど悲しかった。それまでとても素晴らしい関係を築けていたから」

In March 2008, Sutherland told Thw Guardian, "We got together shortly before we made Klute and then we were together until the relationship exploded and fell apart in Tokyo. And it broke my heart. I was eviscerated. I was so sad. It was a wonderful relationship right up to the point we lived together."


ドキュメンタリー「FTA」のビジュアル。「TOKYO」「OKINAWA」「MANILA」などが記されている


カナダ人のアイデンティティー


ドナルド・サザーランドはカナダの政治家の家系出身で、自らも左派の政治活動家として知られた。

2011年、70歳代になっても「アラブの春」に触発されたOccupy運動(アメリカ、カナダ等で行われた格差拡大反対の反政府平和運動)に参加している。ただし、カナダで行われたデモへの参加だ。


ドナルドはカナダ国籍を維持し、カナダ人としてのアイデンティティーを持っていた。

「自分はカナダ人だからアメリカでの政治活動は控えていたが、ベトナム戦争にはカナダ人も巻き込まれたから、ベトナム反戦に参加する資格があると思った」と語っている。

Although Mr. Sutherland’s politics leaned leftward, he told Playboy: “I didn’t like doing anything political within the United States because I am, after all, Canadian.” But, he added, “there was a huge Canadian participation in the war, and so I felt, on this, I had a right.”



「名脇役」と言われたが、わたしの思い出に残るのは、子供の頃に劇場で見たニコラス・ローグ監督の「赤い影」(1973年)だろうか。ドナルド・サザーランドが主役だった。ただし、映画はあまり意味がわからなかったが、それも含めて、ずっと記憶に残った。

「赤い影 Don't Look Back Now」



他には「ボディ・スナッチャー」とか「悪魔を憐れむ歌」とか。不穏な役を安定感をもって演じる。とにかくこの人が出ると、善悪の感覚が、日常版から映画版に移行する。どんな役も「ハマり役」のようで、スクリーンになくてはならない役者だった。

「いて当たり前」の人たちが、どんどん亡くなっていくのが寂しい。

長年、ありがとう。ご冥福を祈ります。


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