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ご近所の「鈴木さん」がただの「鈴木さん」ではなかった件 【川崎・柿生の郷土史】

川崎市麻生区の柿生に引っ越してきた時、近所の人から「このへんは、鈴木さんばっかりだから」と言われた。

その時は「まあ、ありふれた苗字だから」くらいしか思わなかったが、鈴木という表札をよく見る上に、町内会の会長とか、アパートや駐車場の名前とかが「鈴木」ばかりだ。数が多いだけでなく、このあたりの地主や有力者らしい。

図書館で郷土資料をめくっていると、その理由がわかってきた。

熊野神社は(麻生)区内に6社ありました。・・この神社は平安時代の熊野信仰によるもので、平安末期に紀州名草(現海南市)の鈴木(亀井)の一族がこの地に住み、故郷の氏神を祀ったものといわれています。亀井(鈴木)六郎の亀井城・弁慶の鍋ころがし・二枚橋など、この地に残る六郎・弁慶・義経の伝承を裏付けており、現在麻生の多い旧家の鈴木姓はその末裔と思われています。

小島一也『麻生の歴史を探る』p44

鈴木家の系譜は神武天皇より穂積姓を賜り、後に熊野藤白に住して鈴木と称した熊野八荘司の家柄で、平安時代末期、この藤白から熊野信仰の比丘尼を使い全国に三万余の熊野神社を建立した総元締めの家といわれ、一族は熊野信仰の布教とともに紀伊の山国から東国に新天地を求めていたと思われます。

同上p67

約1000年前、紀伊から一族でこの柿生に渡ってきたのが、現「麻生鈴木家」の始まりだ。この紀伊の鈴木家は、苗字ランキングで佐藤に次いで2位、全国200万の鈴木姓のルーツらしい(同書p68)。

ご近所の鈴木さんは、ただの鈴木さんではなかった。神武天皇ゆかりの鈴木総本家の直系なのだ。「ありふれた苗字」とか言って失礼した。

引用文にあるとおり、神武天皇からたまわった姓は穂積だったのだが、鈴をつけた木を馬印にしたことから「鈴木」と名乗るようになる。代々、紀州の藤白(現和歌山県海南市)に住んでいた(同p74)。

この紀州鈴木さんは、源氏と近かった。一説には、後三年の役(1085年、源氏が東北の清原氏を討った)で、鈴木一族が源義家らと東北に遠征して戦った功績から、この武蔵麻生(柿生)の地を恩賞として与えられたという。(この時に恩賞を大盤振る舞いしたことが、源氏が武士の信頼を得たきっかけと言われている)

その関係から、弁慶などともに源義経の四天王の1人とされる、亀井(鈴木)六郎の「城」跡が、麻生区の月読神社にある。実際には、城というより館だったようだが。(紀州鈴木家は亀井という場所にあったので、一族は鈴木とも亀井とも呼ばれた)

頼朝が天下を取ったので、鈴木家も一時は羽振りがよかっただろう。しかし、義経についたので、結局は負け組になってしまった。

頼朝の逆鱗に触れた義経は平泉で横死(1189年)、股肱の臣亀井六郎がこの世にあるはずはない。かくして鈴木・亀井の一族は衰退、麻生亀井の館は再び草生す山里に戻っていった・・・

同上p73


まあ私は歴史に詳しくないが、中世から近世に移るあたりの、現川崎市含めた神奈川の武将は「負け組」が多い。秀吉に滅ぼされた小田原城の北条氏をその代表として。それはそうで、もし神奈川勢が強かったら、いまごろ日本の首都は、鎌倉か小田原になっている。

たとえば、同じ鎌倉時代に、稲毛三郎重成がいた。関東南西部でチェーン展開するスーパー「いなげや」の名の由来になった武将だ。生田緑地に彼の枡形城跡がある。桓武天皇に遡る平氏の名門出身で、いまの稲城市や川崎市北部の支配者だった。(稲城市も、当初は「稲毛市」にしようと思ったが、明治当局の許可が下りず、「稲城」になったという説がある)

稲毛三郎は、源頼朝の妻政子の妹と結婚し、御家人の中で確固たる地位を占めていた。だが、頼朝の死後、権力を握ろうとした執権・北条時政に謀殺される。悲劇の武将だ。まあ、神奈川「負け組」の歴史は、いずれ改めて書こう。


鈴木家に話を戻せば、いまの小田急線「柿生」駅前にあたる場所に、鈴木家鎮守の熊野神社があり、それを囲むように鈴木一族が住んでいた。(この熊野神社は、大正時代に月読神社に合祀される)

南北朝時代、室町時代と過ぎていき、今の川崎市多摩区、麻生区あたりは、上杉や北条など、戦国武将たちの激戦地となるのだが、鈴木一族はそこに絡んでいないようだ。

鈴木家は、義経が死んだあと、負け組として、目立つことなく、ひっそりと、同時にしっかりと根を張って、900年くらいたち、今にいたるのだろう。いまでは完全に勝ち組一族だ。

麻生鈴木家の家譜は焼失して、江戸時代以前の記録はないらしい。以上の鈴木家の来歴も、学問的に確定したものではないだろう(「義経記」が流行った室町時代以降の創作が混じっている可能性があるらしい)。

最近では弁慶は実在しなかったとされつつあるし、亀井六郎についても、いろいろ説がある。

昔のことだから、わからないことは多いようだが、鈴木さんが多いことは事実なんで、郷土歴史家にとっては興味がつきない土地だろう。

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