「炎の中の人物」映像の問題
日テレが放送した猪口邦子議員の自宅マンション火災でペットボトルを持った人物らしき映像に批判殺到「近年稀に見る全国放送で流しちゃいけない映像だった」「もう放送事故レベル」「日本のテレビは異常」「BPO案件」「SNSよりテレビを規制した方がいい」「マスコミが今度は炎上しそう」
(newssharing 2024/11/29)
日テレが放送した「炎の中の人影」映像をめぐって、上記記事のように、SNSで激烈な反応があった。
記事にははっきり書いていないが、私がSNSを見ていると、「障害を持った娘」と「その娘を守る親」についての物語が、ネット上に生まれていた。
そして、この映像を流したテレビ局は、そうした家族の機微がわからない無神経で非人情なメディアだという非難となっていた。
私の家族も同じ境遇だ、とか、知り合いに同じような家族がいる、といった投稿も数多く見かけた。
しかし、猪口さんに障害のあるお子さんがいるのか、もしそうだとして、その障害はどの程度なのか、今回の被害に遭われたのは障害のある娘さんの方なのか、などに関し、私の知る限り、一切の公式な情報はない。ネットの噂だけである。
その噂だけで、ネット上に一つの感情的な「物語」が生まれ、メディアが攻撃される、という流れに、私は危惧を覚えた。
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ふだんはメディアに厳しいつもりの私だが、この映像を流したテレビ局については、擁護せざるを得ない。
今回の火災は、議員の家であろうとなかろうと、都会の中心で起こった大事件であり、消防車総動員でも消火が数時間におよんだ大火災だった。
たまたま議員一家だけの被害で終わったが、周囲に延焼してさらなる被害が出る可能性も大いにあった。
そうした重大な公の関心事である以上、もはや議員一家のプライバシーの問題は超えている。
それに、その視聴者提供の映像を、加工して流したり、ある一定の偏った解釈とともに流したのなら問題だがーー私はその放送を直接は見ていないがーー映っている人物が誰かをふくめ不明としてそのまま流していたと思う。
つまり、
・それが公の重大な関心事であること
・入手した素材をそのまま流していること
の2条件を満たすなら、その報道は正当である。
もし、それが許されない報道だとされてしまうと、将来にわたって我々は、事件発生時に何が起こっているかを知る手立ての一部を失うだろう。
こうした報道が自主規制される流れを作ると、結局、社会の不利益になる。
ただし、今回のように感情的な反応を呼び起こす可能性があるものについては、上記記事にもあるとおり、
「これから流す映像は刺激的な内容です」
といった警告があった方がよかったかもしれない。
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今回の火災では、
「猪口議員が外国人参政権や夫婦別姓などに反対の立場なので『やられた』」
といった陰謀論めいた情報もSNSで流れた。
自民党のタカ派に迎合したから云々、といった、こんな機会に猪口氏を鞭打つような投稿も、そうした陰謀論を助けていた。
つまり、左派系の「犯行」を示唆するような流れができていたのだ。
それに対して、以下のように危機感を覚える人たちがいた。
猪口邦子議員宅の火災。何の根拠もないのに「外国人参政権反対」との関連を匂わせるツイートに6万超の「いいね」がついているのをみると、暗澹たる気持ちになる。
(津田正太郎 2024/11/29 14:56)
このツイートや引用リツイート見てると関東大震災で「朝鮮人が井戸に毒を入れた」というデマで朝鮮人を虐殺した頃から何の進歩もしてないことが分かるし、何ならデマの拡散スピードが桁違いであること考えると余程危険
(佐藤倫子 2024/11/29 11:29)
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最近、「オールドメディア」VS「SNS」といった対立軸が生まれ、私も「オールドメディア」側の問題を指摘することが多い。
しかし、今回のようなSNSの「暴走」を見ると、複雑な思いになる。
たとえば、今回の映像を撮った個人が、自分のSNSアカウントや、動画プラットフォームで映像を流したとしたら、どうなったのか、と考えてしまう。
あるいは、より加工された映像が、ある一定の解釈によって流されたとしたらーーまさに「朝鮮人虐殺」のような事態が起きないとも限らない。
テレビでは一定の配慮をして流しても、それが切り取られてネットで流通すれば、結局同じことになりうる。
SNSの時代には、イーロン・マスクの言うように、一人一人の個人がメディアとしての影響力を持つことになる。時にはマスコミ以上の。
そうであれば、いわゆる「ネット・リテラシー」では足りない。
市民全員に対して、「ジャーナリズムの倫理」を持ってもらうよう、啓蒙したり議論したりすることが必要だと思った。
<参考>