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1960年代は無くてもよかった

ミヨシ・ウメキ(ナンシー梅木)のことを調べていて、私はすっかり終戦から1950年代前半にかけての日本に魅了されてしまった。

この「ジャズ時代」は、いま80歳代、90歳代の人の青春時代だ。戦争が終わった解放感と、初めて味わう自由に酔っている感じがする。

しかし、この時代の愉楽感はあまり語られない。この世代の人にマスコミが語らせるのは、もっぱら「戦中の苦労」と「戦後の混乱」である。


1960年代生まれの私にとっても、その時代は遠い昔で、これまで印象が薄かった。

それは、1960年代が「語られすぎる」のと対照的だと思う。

案外大きいのは、1960年代を境に、映像がモノクロからカラーに変わったことかもしれない。我々はカラーになった後を現代と感じ、モノクロ時代を縁遠い昔と感じる。

「ロック」と「新左翼」で汚れる前のモノクロ時代に、今からでも戻れないものであろうか。


「戦後の重要な変化は1960年代に起きた」というのが、左翼や左翼アカデミズムが流布したがっている歴史観だ。もちろんそのクライマックスは1968、9年である。

しかし、こういう歴史観には、ずっと批判もある。例えば黒人解放の画期となったのは本当に60年代だったのか。1950年代のキング牧師よりも、1960年代のマルコムXやパンサー党が重要だったのか、と(キング牧師の有名な大行進は60年代だが、それは50年代の活動の帰結である)。

「1960年代が重要だった」と言いたがり、たぶん本当にそう思っているのは、その時代に青春を送った今70歳代の人。いわゆる団塊世代だ。新左翼の世代である。

団塊より少し前の世代では、関広野のように、1950年代から60年代初めにあった自由な感覚が、高度成長とともに失われてしまった、と指摘している批評家がいた。

一方、団塊世代の理論家のスガ秀実は、1960年代の毛沢東主義から現代のフーコー的なポストモダン左翼が正統的につながっているのを論証しようとする。こちらの、「今も1960年代だ」と言いたい、思いたい人の方が多数派だ。


私はマスコミで働きながら、上司にあたる、そういうクソ団塊左翼どもがマジ嫌いだったし、そのいい加減さに今も怒りが収まらない。日本をダメにしたのはこいつらだ。

1950年代以前に想いが募るのは、だからかもしれない。


近代日本には2つの「青春」があった、と私は思っている。

1つは明治時代の半ば、自由民権運動の最盛期で、もう1つが終戦直後だ。

その象徴と言えるのが、どちらの時期にも「天皇制廃止」が公に議論されたことである。どちらも「新憲法」に期待が持てた時代だった。

明治期のそれは、確かに声が小さかったが、民間の憲法起草の中には、「天皇が必要かどうかは選挙で決める」という発想(社会主義革命思潮とは別の、たぶんルソー的思想)が存在した。

終戦直後、新憲法制定時に、新聞も、また共産党や社会党も、そういう議論をしていた。

天皇制の是非自体はここでは問わないが、日本の民衆が「その存続を自分たちが決められる」と本当に信じられたのは、たぶんこの2つの時だけだと思う。


1960年代以降は、こうした「大問題」を、むしろ民主主義的課題から外してきた。「創憲」こそ民主主義が最も燃える機会だが、日本は「護憲」に堕してしまった。

「反逆の神話」ではないが、ロックミュージックが「反逆」の仕草をすればするほど、それは商品化されてTシャツの意匠となり、体制内の仕草となった。

フーコー主義の流行で、今では「ミクロな権力」への警戒の方が大事である。彼らの言う「生き難さ」退治のため、社会もマスコミも、日常一般の、小人物たちのセクハラやパワハラの摘発に血道をあげている。

ポリコレ(政治的な正しさ)とは中国1960年代の文化大革命で生まれた言葉と言われる。日常的に「正しさ」をチェックされる、文革的な密告社会の到来が、民主主義の進歩とも、自由の前進とも、私には思えないのだ。


話が逸れてしまったが、「世界大戦と共産主義の20世紀は要らなかったのではないか」と思うのと同じように、「ポリコレと護憲の1960年代以降はなくてもよかった」と思うようになっている。



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