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音楽は「思考」である

わたしの知る限り、音楽は進化論的に説明できない。

音楽が人間の進化の役に立ったとは思えない。

音楽はなぜ「ある」のか?

音楽はなぜ「いい」のか?

以下はわたしの仮説です。


音楽は「思考」である


音楽は「感情」の表現であるとか、ある種の「言語」である(バーンスタイン=チョムスキー)とかの説がある。

これらの説は、音楽が人のコミュニケーションを促進するように考えているようだ。

わたしは、音楽は自足的な快楽であると考えている。

音楽は、感情を随伴し、言語のように構造化されているかもしれないが、本質は「思考 thinking」である。


音楽が「思考」である証拠


なぜそう思うかは簡単で、自分の内心を観察するに、音楽が「思考」の代わりになるからである。

人は、考えるのに疲れたとき、音楽を聴いて脳を休めるでしょう。その間は、音楽が「思考」の代わりをしている。

その意味で、本を読んだり、映画を見たりするのと同じと考える。読書は「人の頭を使って考えること」だとショーペンハウアーは言った。

音楽も、だれかの作った音楽を聴くときは「人の頭」を使って考えているし、自分で音楽をつくるときは、自分が「考える」代わりに音楽をつくっている。

作曲家は、音楽で思考している。


「思考」が現実をつくる


人間は「考える動物」である。「考える」のは人間の特質だ、とはむかしから思われていた。

しかし、「思考」の本質に人が気づいたのは、比較的最近だ。

それまでは、外の現実からの刺激が「感覚」となり、それが「意識」の場に運ばれ、そこから「思考」が始まる、といった一連の流れを考えていた。そこでは「思考」の役割は受動的である。

いわゆる認知革命を経て、現在は、「思考」はより積極的役割を果たしていると考えられている。

人間の現実をつくっているのは「思考」である。

人は、一斉に同じ「思考」をすることで、人間にとっての「現実」を構成している。


「思考」が現実をつくる分かりやすい例が「夢」だ。

夢においては、外界からの刺激はない。「思考」は、人の睡眠中も休むことがない。睡眠中の「思考」が、人に自分だけの「現実」を見せている。よくいわれるように、その「現実」の中で、それが夢なのかどうかを判別するのは難しい。

感情も「思考」に随伴している。悲しいことが起こったから悲しいのではなく、起こったことを悲しいと「思考」するから悲しいという感情が湧く。

この原理をつかって、「思考」を改変して感情を操作するのが認知療法だ。


思考と音楽の共通の源


わたしはここまでラフに言葉を使ってきたが、つまり狭義の「思考」と広義の「思考」がある。

狭義の「思考」と、音楽をともに生み出すような源、広義の「思考」がある。

この広義の思考には、まだ名前がないので、「何か」としておく。

それは、人間を人間的たらしめている「何か」である。

しかし、人はまだ、「何か」が何であるかを知らない。


AIは音楽をつくれるか


AIに音楽をつくらせる試みは以前からおこなわれている。

バッハなどの「論理的」な音楽、モーツアルトのように手法の特徴的な音楽は、パターン認識させていけばAIで簡単につくれて、多くのバッハ、多くのモーツアルトを量産できそうである。

数年前に、韓国の電子メーカーが、AIをつかってシューベルトの「未完成」を完成させた、という音楽を発表していた。

しかし、いまのところ、人びとは、人間がつくった音楽よりAIがつくった音楽を聴くようにはなっていない。


もし、AIが、バッハやモーツアルトと同じ音楽がつくれるとすれば、それはAIが、わたしが言う「何か」を発見している、ということになる。

人間も発見できていない「何か」を、AIが先に発見したことになる。

しかし、いまのところ、AIは、狭義の「思考」を真似ているだけで、その源である広義の「思考」まではたどり着いていない。

あるいは、AIは、AIだけが楽しめる音楽を、すでにつくれているのだろうか。

その場合は、AIは、人間とはべつの「何か」を獲得し、人間とべつの「思考」をしている、べつの存在になっている。


なぜ音楽が「いい」のか


最初の問題に戻り、なぜ音楽が人間にとって心地いいのか、といえば、それは広義の「思考」に心地よさがあるからであろう。「何か」が湧き出るときに、快感があるのだ。

そして、その心地よさがあるから、人は狭義の「思考」も獲得し、それはおそらく進化の役に立った。

あるいは、「考える」ことが心地よい方向へと進化した。

音楽は、その副産物だが、思考と、進化論的に有用な心地よさを共有している。


「考える」ことは、苦痛でもあるのは、たしかにそうだ。

人間は「考える」ことから逃れられない。それは意識する、しないにかかわらない。精神の内部で思考が持続している。思考に憑かれている、思考に呪われているといってもいい。

いやな思考を止められないから、人は自殺したりする。

とくに現代は考えることが多すぎる。わたしは確定申告を前に頭が痛くなっている。


強いられた思考は苦痛だ。だが、自由に考えること(夢想)は、一般に心地いい。

音楽は、自由な夢想と同じであり、苦痛な思考から逃れる手段となり、代わりに心地よさをともなった「現実」を人間に与える力がある。







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