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日々の忙しさに飲まれながらも、平和や想像力に思いを馳せたいエッセイです。

8月が今年もやってきたけれど

1945年8月6日は広島に、9日は長崎に原爆が落とされ、15日に日本は終戦を迎えました。どれも小学校で教わり、色んなビデオも観るし、平和学習をしたり修学旅行で現場を見に行くこともあります。

個人的にはそれから10何年が経ち、学生を卒業して初めての8月を迎えました。

大学生の時はこの時期に特集が組まれる新聞連載に目を通したりして、経験者ではないながらも8月らしい過ごし方をしていたように思います。

今年はFacebookのヘビーユーザーになったおかげで長崎の追悼集会のオンライン中継を見つけ、申し込みました。


けれど、恐ろしいものです。


日常に追われていると、共感する能力や想像力がどんどん減っていく感覚があります。

たまたまFacebookを見ていたから気づいたものを、そうでなければあるいは終戦記念日を通り越して尚無関心でいたかもしれない。

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必ずしも戦争の話には限りませんが、以前環境問題のことで中年の方とお話をしたとき、

「働くことも大事だが、暮らし方を見つめなおすこともそれ以上にひとりの人間として大切だと思う」

と意見を伝えると、

(言いたいことはわかるが)時間のある学生はそう思うかもしれないが、大人はなかなか忙しいからね

という趣旨の返答があり、当時学生だった私は何も言えなくなってしまうということがありました。この時は、ものすごくもやもやしたんですね。分かるけど、なんか違うやろ!と。

それを言ってたら世の中変わらんやん!みたいな。


でも、日常は確かに忙しい。

それを今感じています。そんななかでご紹介したいのがDialogue for Peopleさんが取材したイラク北部の町にある広島通りのお話です。

イラクの広島通り

読んでいただいた方が早いとは思いますが要約すれば、ハラブジャというこのイラクーイランの国境地帯の町は、1980年代のイランイラク戦争のときに最前線になりました。「クルド人」という国を持ったことがない少数民族

(Dialogue for People安田さん曰く、クルド人自体はかなりの人口があるものの、国境線で区切られているために各国で少数派になっていて、迫害の対象に。ことわざに曰く「(クルド人には)山の他に友はなし」)

が暮らすこの町は、イラクにあるのに、イラクに喧嘩を売りたいイラン側に支援されたことで、イラク政府から敵視され、1988年3月16日、化学兵器で襲撃されて町の人口の半分近い5000人が亡くなりました。

その後も汚染された町として、結婚差別があったり、今でも後遺症をもつ住民の方がいるそうです。

この町に、近年広島通りというストリートが出来ました。

平和な世界を願う町の人々が毎年8月、ここで日本に向けた追悼集会をしているのだと。

共感VS忙しさ

共感する力や想像力は、忙しさとの戦いに負けるとしゅるしゅると萎んでいくようなアイテムです。でも、ふとしたきっかけで復活したり、突然強化されたり、身近になったりするものだと思います。

そのきっかけのひとつになれるように、また、自分自身忙しさに飲み込まれないようにと思いながら。

今年も8月を迎えます。


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架け箸はこれからも継続的にパレスチナを訪れ、日本に出回らない生の情報を発信したいと思っています。いただいたサポートは渡航費用や現地経費に当てさせていただきます。