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精神疾患と遺伝(6)私の血脈(弟)

これまで、私の事と、父、そして祖父の事についてnoteしてきましたが、狂人であった祖父の血は、父やその兄である伯父、伯母たちには伝播しなかったように思えますが、父については、今でいう「コミュ障」「引きこもり」そして世の中が悪く自分は正しいと思い込む様は、「境界性パーソナリティ障害」とも思える様相があり、その血を受け継いだ私は少年期には注意欠陥・多動性障害(ADHD)と思える行動、そしてコミュ障、現在はうつ病として精神障害者手帳2級の障害者となっています。

今回は弟についてnoteしますが、彼は祖父の血をかなり濃く受け継いでいると思います。兄弟揃って精神障害者手帳2級ホルダーなんて、そうありえませんから、結論からすれば精神疾患は遺伝するのだと思わざるを得ません。しかし、祖父の子供は父だけでなく、父の兄と3人の姉たちがいて、それぞれに子供がいますが、誰ひとりとして精神病はいませんので、何故我が家だけこのような事になってしまったのか?精神疾患の遺伝は、何かしらのトリガーがあって、その引き金が引かれた時、覚醒するのではないのかとも思えます。

さて、私には弟がいますが、彼は私より3つほど年下で、私の記憶する限り、幼少期より奇抜な行動をしていました。発達障害とも、私と同様にADHDだったのかもしれませんが、私の場合は、同級生たちに注目されたいという承認欲求もあったのですが、弟の場合は誰かに注目されたいというような傾向もなく、本能で気色悪いポーズをとったり、奇声を発したりしていました。私はそんな弟が嫌いでした。

さて、私の生い立ちでもnoteしましたが、私は小学校5-6年生にかけて、教師に対して反抗的な行動を繰り返す「問題児」でした。当然それはPTAを通じてだけでなく、下級生全体にも私の噂は広まることとなるのですが、私が小学校を卒業した後、残された弟は、私の弟だという事だけで、学級担任から迫害されていたようです。もとより奇抜な言動行動をする弟でしたので、学級担任の教師も、ここぞとばかりにいじめていたそうです。そんなある日、弟は発狂して、椅子を教師に投げつけ、教師の顔面に直撃し、鼻の骨を骨折する大けがをしたそうです。周囲からは、当然ながら私以上の問題児として、母親が毎日のように学校に呼び出される始末でした。父親は、子供の事は母親の責任だとして、一度たりともそうした場に出向く事はありませんでした。

私は中学時代は更生(?)してがり勉となっていましたので、中学3年時の成績は優秀でしたので担任にも気に入られた状態で卒業していきましたが、入れ替わりで弟が入学してきました。小学校と中学校では、生徒同士のいじめやいびりは比にならないくらいひどかったみたいで、既に教師を病院送りにしていた弟は、兄である私の過去もあって、上級生たちから格好のいじめの対象になりました。そして、彼は不登校になり、2年半、学校に行きませんでした。父は在宅での仕事でしたので、弟の不登校を、自宅で何度も学校に行けと説教していましたが、母が、いじめを受けているのを何とかしなくては無理だと諭し、なら父が学校に談判に行くべきだというと、そういうのは母親の仕事だと言って逃げてしまい、以降弟の不登校については言及しなくなりました。

折しも、私も高校2年の冬に高校を中退し、ニートが2人同じ家の中にいるという異常事態になりました。私は中退してから4か月後に単位制高校に編入し、夕方はコンビニでアルバイトをしていたので、ほとんど家には寝るだけしかいなくなるようになりましたが、弟は中学3年の一時期だけ受験の為に学校に行ったみたいでしたが、中学生活の大半を不登校で過ごしたため、学力はほとんどなく、それでも地元の都立の商業高校へ入学しました。しかし、そこも半年ほどで中退し、また引きこもりニート生活に入ってしまいました。しかし、彼はその後アルバイトを始めるのですが、そこで出会った早稲田大学の学生から強烈なインスピレーションを受け、以降狂ったように勉強をするようになりました。私はほとんど勉強せず、高校受験の時のがり勉猛勉強で醸成された基礎学力のおかげで、とある私立大学に入学しましたが、弟は自宅内で四六時中勉強しまくり、トイレの中では「早稲田に行くぞ早稲田に行くぞ」と、あたかもオウム真理教の「修行するぞ修行するぞ」みたいな感じで、狂気でした。大検(現在の高卒認定試験)に年齢的には高2で合格し、その後、早稲田の政経学部政治学科に年齢的には現役で合格しました。父の時代とは違い、夜間部は無いので、ある意味私学の最高峰に独学で合格したのでした。同じく明治大学にも合格し、そちらは特待生でしたが、父親は「お金のかからない明治に行け」と、また余計な事をいうから、弟は発狂して家の中を荒らしまくりました。弟の狂気は、自分が納得できない時、モノにあたるようになり、絶叫しながら部屋の中のものを壊しまくるのでした。私は幸い別の部屋を用意してくれていたのですが、当時の自分は「ノーマル」だと思っていたので、弟のキチガイ振りには恐怖でした。

大学に入ると、彼は雄弁会などで活躍するも、はやり精神的におかしいという事で疎外されたのでしょう。自分でサークルを立ち上げ、確か宮台真司などを呼んで討論会をするなど、精力的な活動をしていたみたいです。しかし、常にアクセルを踏み続けているような彼でしたので、どういう経緯かは知りませんが、心療内科に通院して精神安定剤や入眠剤を処方してもらっていたみたいです。

ある日、私が消費者金融を退職し無職となって自宅にいた時、弟は大量の薬を服用した状態で自転車に乗り、繁華街に出た際、カップルとぶつかり、そこで口論となり、相手の男性をフルボッコで殴り倒したところを警察に取り押さえられ、尚もその男性に襲い掛かろうとする様子を見て、警察はどうやら弟が覚醒剤をやっていると思い、現行犯逮捕したのですが、いざ薬物検査をしたところ全く反応がなく、逆に精神異常という事で、東京都により緊急で措置入院させられました。警察としては、事件にもできず、ポイント稼ぎが出来ずに東京都福祉局に手柄を取られてしまった感じだったのでしょう。

その知らせを受けた私と母は、正直その時、安堵感でいっぱいでした。措置入院とは、強制的に精神病院の閉鎖病棟に隔離されるわけで、当分弟が自宅にいなくて済む、それだけでどれだけ心休まる事になったことかは、今でも覚えています。正確な日数は覚えていませんが、1年近くは続いたのではなかったかと思います。もしかしたらそれ以上かも知れません。東京都による措置入院でしたので、費用負担もなく、暫くは弟の叫び声もない平和な日々が続きました。

その後、私は大手コンピュータメーカーに転職が決まり、実家を離れて大阪に単身引っ越しましたが、その頃にもまだ入院中だったと思います。

その後退院してきた弟は、閉鎖病棟でかなりの投薬をされていたようで、すっかり牙の抜けた抜け殻のようになっていたそうです。大学は結局8年間在籍して一応卒業はしたのですが、精神病で薬漬けの廃人のような人間で、しかも大学卒業に8年かかったような大検の人間を、いくら早稲田の政経卒でも雇用してくれる会社は無かったでしょうし、その前に彼自身就職活動をせず、またずっと引きこもりになってしまったのでした。

弟は「統合失調症」として、脳神経内科のある病院から診断を受け、精神障害者手帳2級、障害基礎年金3級となりました。それからしばらくは引きこもっていましたが、調子の良い時には就職してみても、どうやら仕事は出来なかったみたいで辞めています。その後学習塾の講師として、数年間はやっていたそうで、意外にも評判は良かったと母から聞かされています。しかし、学習塾が店じまいしたらまた引きこもってしまい、ある日、コンビニでアルバイトをしていた際、些細な事で侮辱された事が原因で、以降ずっと引き籠ってしまいました。

もう48歳の弟ですが、今も将来の事を何も考えず、「メシ」「お茶」「タバコ買ってきて」と83歳で足腰が弱っている母親に命令する始末です。

弟の場合は、脳神経内科に通院しています。私の通う精神科は、おもに気分の変化(うつ病や躁病)、精神的な問題を扱う科です。 また、心療内科は精神的な問題がもとで体に異常をきたしたような病気を扱う科です。 脳神経内科はこれらの科と異なり、精神的な問題からではなく、脳や脊髄、神経、筋肉に病気があり、体が不自由になる病気を扱います。
つまり、遺伝子に起因しているかというフィジカルな面で取り扱っているようです。

私は、外見などは母親の家系の血をかなり色濃く受け継いでいて、母の兄の若い頃にそっくりとよく言われました。逆に弟は父親の家系の外見を色濃く受け継いでいるみたいです。それで、私は母親の家系のほうなので、精神病などありえないと思っていたら、今のこの状況です。

母親からしてみれば、自分の子供が2人とも精神病だと知ったら、ショックで寝込んでしまうのではなかろうかと思っていますので、以前noteしたように母には元気に働いているよと嘘をついています。(こちらのnoteです

これは、もう遺伝としか思えません。しかし、そんな遺伝も、私と弟の代で断ち切られます。お互い独身なので、もう、この呪われた狂気の血脈は断たれるのです。母親には時折、孫の顔を見せてあげられなくてごめんなさい、と詫びますが、むしろ、母親も薄々この遺伝を感づいているのかもしれません。

最後に、精神疾患と遺伝は、まだ解明されていません。しかし、私は隔世遺伝として現に私達兄弟は祖父の血を受け継いでいると、このnoteを書き綴りながら確信しました。遺伝であれば、いくら投薬してもカウンセリングを受けても、治ることはないでしょう。もし、私がもっと若い時に自分が精神病だと知っていれば、恐らく芥川龍之介のように35歳で自裁していたかもしれません。今はそのような勇気も無く、ただこの命が尽きるまで精神病と共存して、何とか生きていこうと思います。

長々と私と、私の一族の汚点を書き綴ってきましたが、ご拝読頂きありがとうございました。私も、一度この事はどこかで文章にして整理してみたかったので丁度良い機会でした。


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