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ダイエット&ボディビルBL「愛と筋」36

ステージの入り口で整列を呼びかけるスタッフに従い、尚太郎も列に並んだ。
開会式が終わり、軽快な音楽が流れ出した。
番号を呼ばれた選手たちが、次々とステージへ出ていく。彼らは登場時に軽くポーズを取ってから、ステージの中央に横一列で並んでいく。
尚太郎もそれに倣って、ステージに進み出た。

ステージの正面には審査員席があり、7人の審査員が座っている。彼らの方こそステージに上がるべきマッチョ揃いだが、なかでも際立って存在感を放っているのは審査員長である楠木会長だ。スーツの上からでもわかる脅威的なバルクに圧倒される。

客席からの圧もすごい。
ボディビルといえば「肩が気球だフライハイ!」「腹が板チョコ!」「その背中、東尋坊の断崖かい!」などという珍妙な掛け声が上がるイメージがあったが、

「32番! デカいよぉぉ!!」「20番! キレてるよぉぉ!!」「59番!ナイスバルクぅぅ!!」

内容は意外に普通だ。しかし声量がすごい。いっそ怒号だ。
それら野太い叫びを割って、聞きなれた声が響いた。

「65番! 脚が競走馬ァァーーぁ!!!」

(藤さん……!)

声の方を向きたい気持ちをぐっとこらえ、審査員席に向けて、両腕をやや横に開いて直立する『フロントリラックスポーズ』をとる。
リラックスと名がついていても、リラックスはできない。このポーズも審査されているため、筋肉がよく見えるよう力を入れなくてはならない。そうしながら、好印象を持ってもらえるようにアルカイックスマイルを浮かべる。

次に規定のポーズをとる。
KBCの場合は4ポーズだ。
まずは『フロントダブルバイセップス』。これは両腕を肩の高さにあげて力こぶを作るポーズだ。脚のカットも見えるように、足を少し開いてつま先を伸ばす。

「ダウン」の声でポーズを解いて、次に『サイドチェスト』。これは、身体を斜めにすることで、胸や腕や背や脚などの厚みを見せるポーズだ。

そして『バックダブルバイセップス』。反らしぎみにした背中に思いっきり力を入れる。ハムストリングスも見られているので強調しなくてはならない。きつい。つま先がぷるぷるする。ちらりと横を見ると、他の選手も辛いらしく歯を食いしばっている。

最後は、両手を後頭部で組んで、片足をやや前に出し、絞られた腹筋と脚のカットを見せる『アブドミナル&サイ』。
ここまでずっと全身に必死に力を入れ続けているので疲労感が半端ない。灼けつくようなライトの熱もあいまって、じわじわと汗が吹き出てくる。反対に、口の中はぱさぱさに乾いていく。それでも笑顔は絶やさず、審査員に筋肉をアピールする。
これで全員が一列に並んで審査される『ラインナップ審査』は終わりだ。

そしてこれから、審査員が選んだ選手たちが前方に並んで比較される『比較審査』が始まる。
ここで呼ばれる順番は、順位と密接に関わっているらしい。
エントリー選手は67名。ここから予選に進むのは12名。決勝に行けるのはたった5名だ。
藤は、初めに呼ばれる選手たちの中に入れば、決勝に進める可能性が高いと言っていた。
心臓がバクバクする。

「63番、54番、65番、……」

(呼ばれた!)
 
身体中の血管がドクンと動いた。ジーンとしびれたような喜びがこみ上げる。大勢の中から自分が選ばれる、そんな経験、人生で初めてだ。しかも一生懸命作り上げた身体を認められたのだ。

嬉しさに震える唇をひそかに噛んで、尚太郎はステージの前方に進み出た。隣には4人の選手たちが並んでいる。彼らとともに規定のポーズをとる。

「はい、では54番と65番、スイッチ」

番号を呼ばれた尚太郎は手を挙げて、中央にいる54番と立ち位置を替わった。
位置が変わると審査員からの角度が変わり、筋肉の見え方も変わる。こうして場所を入れ替えることで選手たちの条件を揃え、公平に審査するそうだ。しかし傾向としては、やはり優れた選手を中央に呼ぶのだと藤は言っていた。

尚太郎は興奮で鼻を膨らませて再びポージングした。
思いきり力んだ姿勢の維持はきつい。大切なことなのでもう一度言わせてほしい、本当にきつい。
湖面では優雅に見える白鳥も、水面下では一生懸命脚を動かしているように、ステージの上の勇壮なボディビルダーたちは、実は必死に力んでいるのだ。美しさと我慢は、表裏一体である。そんな格言が頭に浮かんでくる。
そのあと何度かコールがあり、後ろの選手も呼ばれて交代を繰り返し、審査は終わった。

「フロントダブルバイセップスのとき、脚への注意がおそろかになってただろ。カットが消えてたぞ」

控え室に戻って結果を待っていると、藤が憮然と指摘してきた。

「えっ、す、すみません」

「俺に謝ったところで評価は変わらないぞ。いいか、今度はもっと下半身を意識しろ。下半身がしっかり固まれば、上半身もさらに広がりが出る」

「はい」

そこでスタッフに番号を呼ばれた。
藤がにやりと笑う。

「よし、審査通ったな。次は予選だ、行ってこい!」

背中を押されて、「はい!」と勢いよくステージに向かう。
67名のうち12名に選ばれた。その事実に、踏み出す足が浮き立つ。
ステージに上がると、初めから立ち位置が中央寄りだった。それも高揚に拍車をかける。
真夏の太陽のようなライトと、観客の熱い視線を浴びて、ますます気分が高ぶっていく。
緊張はまだ解けきっていないが、藤に言われたことを思い出して注意深くポージングを決め、ステージを降りた。

その後、予選通過を伝えられ、尚太郎はますます浮足立った。
次はいよいよ決勝だ!
意気揚々と決勝のステージに上がった尚太郎は、ふと両隣に目をやって、愕然とした。

(な、なんだ、この威圧感……!)

尚太郎の左右に並ぶ4人の選手たちは、全身がとんでもなくボコボコしていた。巨大な玄武岩に挟まれているようだ。
彼らはそれまでの審査でも隣に立っていたはずだが、緊張のあまり他の選手を気にする余裕がなかった尚太郎は、今頃になって彼らの著しい筋量に唖然とした。

「フロントダブルバイセップス!」

はっとしてポージングしたものの、まだショックは続いている。この5人の中で明らかにサイズが劣っている自分が、場違いのように思えてくる。

「23番、65番、スイッチ」

立ち位置が端になってしまった。
23番の彼の、丸々としながらも深い溝が刻まれた肩を横目で見やって、尚太郎は当然だなと小さく息を吐く。

(僕は、まだまだフラットだ)

バルクの足りなさを痛感すると同時に、横に並ぶ彼らの凄さをひしひしと感じた。
筋肉は、頑張らないと大きくならない。1gの筋肉には何時間もの努力が詰まっている。
彼らはこれだけの身体を作るためにどれだけ努力してきたのか。きっと自分の想像をはるかに凌駕する努力を何年も重ねてきたのだろう。

(すごいな……僕は努力が足りなかった。……覚悟も、足りなかった)

KBCの決勝は、予選のポージングに追加でフロントラットスプレッドとバックラットスプレッド、サイドトライセプスが加わる。
それらの規定ポーズ審査が終わると、1分間のフリーポーズ審査に移る。ここでは曲に合わせて自由にポージングする。
藤と練習はしていたものの、衆人環視のステージの上で単独でポーズをとるのは想像以上に緊張する。

(う……手が震える。脚にも力が入らない……でも、どうせ僕は勝てないし……)

諦めが身体を縛っていく。ライトの光量をより強く感じる。どこか現実感を失って、ぎこちなく四肢を動かしていく。

「秘境を駆け抜けろ! ペガサスレインボーぉぉぉぉぉ!」

突然あがった声に、頬をひっぱたかれた。
クリアになった視界に、客席の藤が映る。

「! っ、……」

我を取り戻した尚太郎は、大腿四頭筋を揺らしてトン、と足を前に踏み出した。ぐっと力を入れ、カットを誇張する。

(何してるんだ僕は! 勝てないからって力を抜いてどうする! そんなの、ここまで僕を指導してくれた藤さんに対する裏切りじゃないか! バルクが足りなくても、勝てなくても、いまの僕の精一杯を見せるんだ! あのひとが磨き上げてくれた身体を、見せるんだ!)

丁寧に、細部まで意識してポーズをとる。少しの角度で陰影が変わり、見え方も変わる。少しでも輪郭を大きく、カットが深く見えるよう、全神経を集中させる。

「大きな拍手をお送りください!」

なんとかやりきったが集中しすぎて疲労困憊になった。
5人のフリーポーズが終わると、ポーズダウンだ。けたたましい拍手の中で、決勝を戦った選手たち全員が客席に向かって自由にポーズをとる。これは観客を楽しませるサービスだ。にこやかに得意のポーズを決める他の選手たちの真似をして、尚太郎もギシギシ軋む身体をなんとか動かした。

ポーズダウンが終わると順位発表だ。
最下位の選手から順に呼ばれる。
5人並んだ中で真っ先に呼ばれたのは、尚太郎だった。

(5位……)

わかっていたけれど、やはり悔しい。
他の選手に対する嫉妬ではなく、自分に対する悔しさだ。

表彰が終わり、賞品のKフィットネスブランドの商品詰め合わせを抱えてしょんぼりとステージ裏に戻った尚太郎を、藤が仁王立ちで待っていた。

「尚太郎、こっちこい」

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