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私の青春は千里くんの声と共に。

私の聴いてきた音楽史には、大江千里という存在は欠くことができない。私の青春を思い出すと、そこには間違いなく彼の歌がある。

◎アルバム「1234」のリマスター版が出るという記事を読んだ。

現在でも、時々千里くんの歌が聴きたくなって、配信されている楽曲を貪っている。

一番最初にハマった千里くんの歌は「YOU」だった。
風の吹く緑の草原でピアノを弾きながら歌っている姿は何度見ても飽きなかった。
私の【メガネ男子好き】は、そのとき発動したに間違いない。「結婚するなら大江千里に似てる人にする」と心に誓った。

「十人十色」を聞いた時はアイドルだと思っていた。
「YOU」が、あまりにも良すぎて、ひとつずつ他の曲も知ってゆくうちに大江千里はアイドルではないことに気が付いた。
そしてアイドルではないんだということがたまらなく良かった。それで、ますます好きになった。

そのあと「Rain」は駅のコンコースで聴きながら、こみあげてきて涙したのを覚えている。
その「Rain」の入っているアルバムが「1234」だ。

このアルバムも、穴が開くほど聞き込んだ。
勉強しながら繰り返し繰り返し聞いた。
一番好きなのは「平凡」だった。
この暗さ。
詩の内容を歌詞カードを目で追ってゆくと、とてつもなく恐ろしい想像が次から次へと脳裏に浮かんできて、【異性と交際するということ】について、幸せな空想は粉々に崩れ落ちた。
「人を好きになる」こと「誰かと心を通じ合わせて愛し合う事」そこに「体の関係が発生する」こと「気持ちが離れても体は離れない場合があること」

恋愛というものの持つ「執着」

愛するということの先に、自分の身が「使われる」という未来があるのかもしれないという世界を想像させてくれた。この「平凡」という歌は、ある意味とても怖かった。だからこそ、強烈に色々なことを教えてくれた。
そして私の考えは、
【本気で愛する人が見つかったならば、自分という存在は、その人に「使われて」構わない】
というところに至った。

その後、いくつもの恋をして、「誰かと愛し合う事」と、「誰かと生活を続ける事」が必ずしも同じ方向性を持っていないことも経験してきた。それでも私が、今まで愛してきた彼らの誰をも、恨んでも憎んでもいないことや、今でも彼らが幸せに暮らしてほしいと願っている、そう願うことのできる心境にある大元には、「平凡」や「帰郷」や「サヴォタージュ」や「塩屋」を聴きながら悶々と暮らしたあの日々が有ったからだと思う。
これらの歌はいつ聞いても私の心をとらえて離さない。

リマスター版が発売されることによって、
誰かに、2024年になって初めて大江千里の歌と出逢えるチャンスが広がるのが素直に喜ばしい。
あの頃の私のように、【何か】を、この素晴らしい曲たちから感じ取ってくれる人が一人でも増えることを願って止まない。



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