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彼女は自由であるということ

 とても大事な友人のひとりに、ある女の子がいる。

 職場の昼休み、食堂で私と席が近くなることが多かった。彼女はいつも穏やかで、まわりにいる人たちの話を聞いては優しい微笑みを浮かべるのが常だった。職場では経理として働いていた。仕事はとても適格で間違いがなく、なにより意欲的だ、と同僚に聞いたことがある。

 彼女と私は妙な共通点がいくつかあった。大相撲が好きで、ひいきの力士が松鳳山であることや、互いに虫が大嫌いで「てんとう虫やかぶと虫が飛んだあと、殻から中の羽を中途半端に出してるのが気持ち悪い」「小さい頃、蝶の粉を吸ったら死ぬと思っていた」ことなど。そんなくだらない話で盛り上がった。

 そんな彼女は、両腕がほとんど動かせなかった。

 小さい頃の事故で運動機能をほぼ失ってしまったらしい。だから彼女は足で腕や手の機能を補っていた。パソコンも足の指で操作し、食事の時も足をテーブルの上に乗せ、足の指の間に箸やスプーンをはさんで動かし、ご飯を口に運んでいた。車だって足で動かせる装置を使って運転し、ひとりで通勤していた。こうして書くととても特別ですごいことに感じるけど、実際目の当りにすると本当に自然で、まったく違和感がなかった。彼女にとっては当たり前の、ごく自然な行為だったからだろう。

 でも、彼女は三年前、職場を退職してしまった。

 原因は膝関節の悪化だった。手術を受けたが術後が悪く、それまで当たり前だった足でのパソコン操作や箸の使用もままならなくなった。それまではひとりで歩けていたがそれもできなくなり、まわりの人の力を借りねばトイレにも行けなくなった。それでもなんとか頑張っていたけど、彼女自身も周囲にも限界がきて、退職せざるを得なかった。今は自宅で訪問リハビリや入浴のサービスを受けながら、療養を続けている。


 ―――――――


 はらだ有彩さんの『日本のヤバい女の子』を先日、病院の待合室で読んだ。

 待ち時間が長かったことと内容の素晴らしさで一気に読み終えた。はらださんの深い見識と考察、テンポのよい文章、鮮やかで哀し気で生き生きとしたイラスト、そしてなにより無限とも思える想像力で、長年の虚構や改竄、あるいは男どもの都合いい価値観を押し付けられ続けた昔話の女の子たちが次々と解き放たれ、自由になっていくのが嬉しく、楽しく、痛快で、そしてほんの少し切なく、読んでいる間ずっと鼻をぐずらせていた。

 でも同時に、ずっと胸が重くなってもいた。悲しくもあった。

 ページをめくる間、ずっと彼女のことを思い出していたから。

 はらださんの愛情で、女の子たちは解き放たれた。自由になった。では彼女は? 腕と足の動きをほとんど失い、仕事を失い、家で過ごさざるをえなくなった彼女は? 帯には「わたしたち、積年の呪いを解き合って、どんどん自由になっていこうね」との松田青子さんのコメントがある。その「わたしたち」には、もちろん彼女も含まれている。含まれていなければ嘘だ。

 そう、彼女は自由だ。言い忘れていたけど彼女は二十代の、今に生きる若い女の子だ。仕事をばりばりこなし、友達と語らい、時には喧嘩し、恋だってできる。できなければいけない。でも彼女自身と彼女を取り巻く現実が、厳然としてそれを拒んでいる。自由なのに、解き放たれているのに、現実はそうじゃない。

 読み終えた時、即座に思った。この本を彼女に教えてあげたい。読んでほしい、と。

 でもすぐためらった自分がいた。もしこの本を彼女に勧めたらどう思うだろう。もしかしたらこう言うかもしれない。「どちらにしろいいですよね、この子たちにはみんな動く手と足があるから……」。差し出した本を今はかろうじて動くだけになってしまった足で除けられるかもしれない。最悪、恨まれるかもしれない。でもそうなっても私はなにも言えない。なぜならそれはとりもなおさず、私もずっと思っていたことだったから。この子たちには自由に動く脚があるんだよな、と。私も五歳の時から下半身不随の身体障害を負い、ずっと車いす生活を送っている。だからそんな言葉や行動を彼女から投げかけられても、私は何も言えないしできない。その気持ちは私もおなじだから。

 「もし出かけたいのだったら、ヘルパーさんでもなんでも頼めばいいんじゃない?」などという奴がいたら、私はそいつをぶっとばす。解き放たれることとは、自由とは、そういうことじゃない。彼女自身が思い立った時、気が向いた時、行きたいところに行き、見たいものを見、したいことをしなければ意味はないのだ。

 ところで、彼女はツイッターをやっている。私もちょっと見させてもらったことがあった。大半は友人たちとの他愛ない会話。でもその中に彼女の心の暗闇がこっそり紛れ込んでいた。「辛くていい。楽しくなくていい。私は仕事がしたかった」「今ここにいる意味はなんだろう……」そんな意味合いのつぶやきを読んだ時は、比喩でなく心臓が痛んだ。

 彼女は人知れず苦しんでいるのだろうか。ままならない自分を嘆いているのだろうか。泣いているんだろうか……そんな風に思うことさえある。

 全部、私の思い違いであってほしい。「なに言ってるんですか。これでも結構楽しくやってますよ。実はもう彼氏もできたんです」と、私を笑い飛ばしてほしい。私に大恥をかかせてほしい。心からそうであってほしいし、実際そうかもしれない。

 でも、私は彼女のあのつぶやきを読んでしまった。だから「彼女は結構楽しくやってるんだ」と確信が持てない。そして彼女に「〇〇ちゃん、君は自由なんだよ」と言い切ることができない。読んでいる間、それが本当に、ずっとずっと悲しかった。目の前で女の子たちが解き放たれ、翼を得、自由になっていくさまを読んでいるからなおさら。そしてはらださんのように、なにも彼女にしてやれない自分が悲しかった。してやるなんて、おこがましい限りなのだけど。

 それでも……私はこの本を彼女に勧めたい。読んでほしい。

 今すぐ読んでもらわなくてもいい。しばらくはほったらかしでもいい。でもいつか、その少しだけ動く足の指でこの本を開く時が、彼女にきてくれないだろうか。そして「もしかしたら、私も、私だって……」と感じる瞬間がおとずれてくれないだろうか。そして窓の外にどこまでも広がる青い空に目を向けてくれないだろうか。その瞬間が来ることを心から信じたい。願っている。それが現実となることを心のどこかで確信もしている。なぜなら彼女にその瞬間をもたらす眩い輝きと鮮やかさと愛情が、この本にはあるのだから。解き放たれた女の子たちが躍動しているのだから。そしてなにより、彼女と女の子たちは、等しく自由なのだから。

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