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ルーティンワークでかろうじて安定する、私の1日

ここのところ、無気力な日々が続いている。
基本的に、あまりになにもやりたくない。というよりは、頭を使うようなことはやりたくない。何かを考えたりとか。

逆に考えると、普段何も考えずにできることは、かろうじてできる。

洗濯をする、食べ終わったお皿を洗う、洗ったお皿をふく、洗濯物をたたむ。

やることが習慣化していて、手順が決まっているもの。わざわざやりかたを考えなくてもいいことは、何も考えず手を動かせばいいので、どうにかできるのだ。

先日も、そんな1日だった。
朝起きた時から、ぼーっとしていた。特に何もやりたくなくて。

朝ご飯を食べて、洗濯機を回して、その間に食べ終わった食器を洗ったり、掃除をしたり。
休日にやる家事は、ほとんど手順が決まっているから。実行するのに、いまさら特に頭を使う必要がない。

そうして手を動かしていると、何もやりたくなくても、少しずつ家事が片づいていく。少しずつ、家が整っていく。

そのことに、私はたぶん、とても助けられている。

学生で一人暮らしを始めた頃、私はこうした日々のルーティンワークが苦手だった。毎回食べた食器を洗ったりとか、毎日同じことをするのが、退屈だったのかもしれない。

転機は、就職して働き始めたことだ。
それまであいまいだった休日が、ある程度明確になった。

仕事で覚えなければならないことは山ほどあって、出勤日は疲れ切っていて家事などできなかったから、洗濯や掃除などは必然的に休みの日にまとめて片付けることになった。

最初の頃は、休みの日は何をしていいのかわからなかった。けれど、しばらくすると、だんだん休みの日にやることが固定化してきた。
家事の手順も、だいたい一定に定まりはじめた。

休みの日がくるたびに、繰り返しそれを続けていた。
次第に、朝起きてからの行動を、何も考えずにできるようになった。

そうして、休日の家事は私にとって習慣になった。

今は、その家事に取りかかれるまでの時間で、なんとなくその日の調子がわかる。普段より早ければ、いつもより調子がいいなとか。逆に、朝ご飯を食べた後いつまでも取りかかれないようであれば、なんとなく今日は疲れているのかな、とか。

休日のルーティンワークは、ものの見事に、私のその日の調子を確認するバロメーターと化している。

自分と、周囲の環境によって作ることができた習慣だけれど、習慣の力は大きい。そのことに、私は救われている。何も考えずとも、ある程度の行動ができるのだから。

これからも、日々の生活を送るうえで必要なことは、習慣にしていきたい。

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