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海外経験が活かされない日本の教育現場、は本当だった(のか)

私は2019年度にワシントン州へ派遣教員として1年間赴任し、公立高校🇺🇸で1年勤務しました。教員になる前にもアメリカでMAをとり、帰国後はJICAで勤務。海外経験は平均以上だったと思います。

だからこそ、教師になったらその経験を思う存分届けたいと思っていました。
でも、それができた感覚は低い。

昨日、日本の文献にあたっていて、帰国した海外派遣教員の研究が驚くほど少ないことに気がつきました。海外派遣はもう60年ほど前から始まっているようですが、どうしてこうも興味関心が薄いのでしょうか。

ひとつ見つけたのは芝野淳一准教授(中京大)の論文「帰国した在外教育施設派遣教員の 研究に向けた予備的考察 ―教師の「越境性」に着目して―。

ここで興味深いことが書かれていました。

帰国した派遣教員が直面する困難:
ー 正当な評価を得にくい
ー 仲間はずれにされる(羨望から)
ー 帰国後に知見を活用できない
ー 出世コースから外れる
ー 帰国前に復帰に対する不安がある

芝野淳一准教授(中京大)の論文「帰国した在外教育施設派遣教員の 研究に向けた予備的考察 ―教師の「越境性」に着目して―

芝野(2018)によると、海外での教職経験を通 じて身につけたグローバルなものの見方や価値観=「特異」な経験日本の学校現場における排除の原因となったり、復帰の弊害となった りする。
または、トランスナショナルな想像力、認識枠組み、思考性を有していることが現在の教育現場では評価されていないとしています。
つまり、海外経験=変。自由な発想=不要。という学校側の暗黙知が見えると思うのです。

ここで、考えて欲しいのですが、
これは生徒のことではなく、教師の話であると言う点です。

教師自身の海外経験が評価されない学校という場で、どうして生徒の海外経験が支援されたり評価されたりすることが可能になるでしょうか。
この調査は在外教育施設を対象にしたもので、私がアメリカの高校で勤務した経験とはまた違いますが、それでも共通の悩みを感じます。

私は、帰国後に思いの外、学んできたことを吐き出し共有し、再構築していく場がなく、↓のようなセミナーを立ち上げました。

それでも、こちらへの関心も限定的で、それよりはどのように教える技術を上げるかということの方が注目度は高いような印象です。
指導力ってなんなのでしょうか。
教師のコンピテンシーってなんなのでしょうか。その中に国際経験や異文化理解は入っていないのが「普通」なのでしょうか。

日本には、よく見れば在外派遣だけでなく多くの派遣制度がありますが、それについて知っている人は多くありません。

教師の多様性が確保され、評価されない学校という場所はなんなのか、もっと知りたいと思っています。そして、それはなぜか、確保されていないのにも関わらず、交流が続いていたり、生徒への交流を促したりするのはなぜか。

もし、この記事を読んでくださっている人で在外派遣をはじめ自治体での海外派遣制度など参加された方、またはご存知の方がいらっしゃれば、色々と意見交換させていただきたいです。
ご連絡お待ちしています。


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