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日記

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2019年3月の記事一覧

2019年3月31日(日)

新元号大喜利を始める人と、新元号には興味ないと表明する人とはあまり仲よくなれないだろうとヤフーニュースのコメント欄を眺めていて思った、思っただけで普通に仲のいい人間の中にはそういうことをしそうだったりしていたりするのもいるのでこの手の感慨はあてにならないということを私は既に知っている。そう思いながら午前中は家に落ちていたカフカの【アメリカ】もとい【失踪者】を読んでいた、(小説的)収束という言葉から

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2019年3月30日(土)

家に落ちていた多和田葉子【尼僧とキューピッドの弓】を読んでいる、これが家に落ちている経緯が全く思い出せない、第二部の序盤に語り手が自分の人生を振り返りつつそれが本当に自分の自由意志に基づいて選択された行動なのか疑義を提示していく場面があって、それで私は私が柏レイソルを好きになった理由を思い出す、あれは小学校4年の時に所属していたサッカークラブの合宿の頑張った大賞みたいなものでユニフォームを貰ってそ

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2019年3月29日(金)

会社でレイアウト変更が行われた、それなりに和気藹々と遂行されていくから良かった、絶妙なタイミングでプロジェクトが解散した結果、四月はほとんど仕事がない平和な日々を過ごせそうだった。丸々一週間くらいどこかで休む。

豚カツ弁当(600円)が売り切れで、えー超ショック〜、と売り場で叫んでいた人がいた、豚カツが似合う容貌だった。これを食うために今日、いや今週、いや人生を頑張ってきたのだという思いが滲み出

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2019年3月28日(木)

いつもより一時間遅く家を出た、途中で二人乗りの自転車に乗った親子とすれ違った、母が後ろに座ってスマートフォンを眺めている五歳くらいの息子に向かって「減価償却でもしたんじゃない」と言った。息子は無言で頷いた。

一時間遅く家を出たのは子会社のオフィスに立ち寄り遅出となるからだった、働くには都心が過ぎた気がした、IT感満載のオフィスもそれに拍車を掛けていた。都心と感じる根拠は最寄り駅が三つもあってそれ

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2019年3月27日(水)

腕白という概念を詰め込んだ弁当を食べたいと唐突に思って選ばれたのは唐揚げ弁当だった。その名の通り唐揚げはもちろんのこと、海老フライ、謎フライ、付け合せスパゲティといった具合のハイカロリーが押し寄せるような内容で五百円。あとはだいたい感覚が死んでいた一日だったから書くことは特になかった。明日を過ぎれば、という心持ちに支配されていて、あらゆる場面で思考を停止させている節がある。ひさびさにこっちのマガジ

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2019年3月26日(火)

夏目漱石の【草枕】を読んでいる、「小説も非人情で読むから、筋なんかどうでもいいんです」というところに注釈が附されていてそれを読むと、「この画工の言葉は一見『草枕』な構造自体を暗示するとも見られるが、しかし最終的には、『草枕』はやはり筋などどうでもよい作品ではあるまい。」とあって、唐突に解説者の主張が出てきて笑った。岩波文庫版。

貯金用口座から前借りしていた一万円を生活費口座から移した、一応社会に

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2019年3月25日(月)

B&Bで開催された滝口悠生のイベントに行った、自作を含めて小説で使われている音楽の効果や効果の無さについて矢野利裕と語り合っていた、二人とも朴訥としたいい声だった、下北沢に来たのはいつぶりだろうか。前に来たのもB&Bのイベントだった気がする、確か滝口悠生と歌人の伊波真人のトークイベントだった、その時は焼酎の透明さに関する短歌を作っていた、シティポップとかの音楽の話もしていた、私はどれだけ滝口悠生が

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2019年3月24日(日)

食べ放題の昼に備えて朝飯を抜くと豪語していた父はハーゲンダッツを食べていた。国分寺まで送ってもらった、あ、鷺だ、と運転しながら父が叫んだがあんな住宅街に鷺がいるだろうか。いるのかもしれない。いないと断言できるほど、私は鷺についても国分寺周辺の生態系の事情についても詳しくない。

新橋での用事を済ませて暇だったから適当に歩いた、定期範囲内である中央総武線のいずれかの駅に着けばいいという投げやりな心持

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2019年3月23日(土)

至近のアパートが取り壊されるようだった、言っては難だが取り壊されてしかるべきというか、ここ数年の私のボロアパート像の中核を担っていたような古びた外観だった、自宅に知人を招いて駅から自宅までの通り道にあるそのアパートに案内して、ここですよ、と言ってその知人がそのボロさに囲まれて過ごすその先数時間のことを思ってちょっと顔を歪ませる、それで私は、嘘でーすここではありませーん、もうちょっと綺麗な建物でーす

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2019年3月22日(金)

至近の小学校の卒業式であるらしかった、自宅の前、そこそこ大きい自宅の前で写真を撮っている家族がいて微笑ましかった、通りの道幅がそのまま写真の構図を規定しているらしく、撮影に苦慮している様子も含めて微笑ましいと思えた、そういう心持ちだった。昨日が日曜日感があったから今日は月曜日感があって、でも本当は金曜日で明日からまた二連休だから余裕が違った。と思ったら会社に着いたら色々面倒で一瞬で余裕は枯渇したが

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2019年3月21日(木)

朝起きて窓を開けると猫がいて、それでもう今日はいい日であることが決まった。めっちゃこっち見とる。カーテンの丈の短さが功を奏す。

スクランブルエッグは牛乳の代わりにマヨネーズでも何とかなるという知見を得たのち、中野駅へ向かうのに一旦北上して妙正寺川まで出て歩いて川沿いをずっと東へ歩いた、桜はまだ咲いていなかったが暖かくてこれはもうすぐ咲くぞ、と思った。私はシャツ一枚だったのだがそれでも結構暑くて、

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2019年3月20日(水)

およそ三ヶ月に渡って毎日投稿を続けてきて、それは今日、すなわち三月二十日(水)にあっても変わることなく続けられた、この文章を書いているのは三月二十日の四十二時くらいで、途中十時間くらいの睡眠を取ることも出来た長い一日だった。それとは別に三月二十一日を十八時間ほど生きている私もいて、それについての文章もたぶん後ほど書かれる。

退職する同期と神田で飲んだ、職場は御茶ノ水なので御茶ノ水で飲めばいいとい

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2019年3月19日(火)

誰の思想は何主義といふことの一覧表が簡単に作られるやうになると、そこにあつた筈の思想が消え失せる危険を免れない。
吉田健一【わが人生の処方】(中央公論新社)p66

三段論法という懶け(なまけ)ものの救命具が発明されてからもう二千年はたつている。
同 p68

そういうことだった。何かを端的に言って何かを言った気になることだけは避けなければならないことが知れた。整理からなるべく離れた場所で生き

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2019年3月18日(月)

笹井宏之の【えーえんとくちから】を昨日買ったので今日から読もうと思って朝カバーを掛けて鞄に忍ばせた、すると時間が経って昼休みが来て昼飯を食べ終わって、読むぞー、と思って一ページ目を開いたがすぐ閉じてしまった、内容がいまいちとかではなくて、というかそこまでも辿り着けなくて、短歌集というパッケージ、余白がすごく多くて、何か短歌集を読んでいることが傍から覗かれると一目瞭然でそれがちょっと気恥ずかしいとい

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