2019年3月31日(日)

新元号大喜利を始める人と、新元号には興味ないと表明する人とはあまり仲よくなれないだろうとヤフーニュースのコメント欄を眺めていて思った、思っただけで普通に仲のいい人間の中にはそういうことをしそうだったりしていたりするのもいるのでこの手の感慨はあてにならないということを私は既に知っている。そう思いながら午前中は家に落ちていたカフカの【アメリカ】もとい【失踪者】を読んでいた、(小説的)収束という言葉からなるべく遠いところを通っているような文章でよかった、私に思われた新元号に関する感慨と【アメリカ】を読んでいることの連関性は不明だった。

右折待ちの車が何台が並んでいて、ウインカーを点滅させている様子を眺めていた、各車の仕様やウインカーを出し始めたタイミングに従ってオレンジの光が明滅する瞬間に微妙にズレがあるなと思って見ていた、そういう光景は今までにたぶん何度も見ていたはずだが、何故か今日という日に初めてその旨を思った。国立に行って桜を見ながら歩いた、母校の大学は新歓をやっていてビラ等を配っていたから声を掛けられるかと期待したがやはり二十七歳は新入生ではないと見抜かれていた。あれから九年経っている。そのあとは高円寺。

一年の区切りはやはり大晦日/元旦ではなく三月/四月にある、また明日から、はたぶん無理だけど明後日から徐々に書き物を再開していこうと考えている、できることならそれが小説という形になってくれればいい。

#日記 #エッセイ #コラム #小説 #創作


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?