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毒親とSNS


(当記事の画像は、すべていらすとや様よりお借りしました)


SNSに見る毒親

「子供や家族よりも何かに入れ込む、依存する、浮気すること」毒親の条件の一つであるとされている。具体的にはアルコール依存、薬物依存、買い物依存、ゲーム依存、新興宗教やマルチ商法への傾倒が挙げられるが、昨今はそれらに加えて深刻なスマホ依存および「SNS依存」が多々見受けられる。今や仕事や生活の必需品であるスマホやSNSへの依存は、時として麻薬以上の中毒性を持つとされている。(参考:『インターネット・ゲーム依存症』岡田尊司著,文藝春秋, 2016)  特に一部のSNSは、強い自己顕示欲や承認欲求を満たしやすく、愛着スタイルが不安定な毒親はその強い自己愛からSNSにのめり込む傾向が強いと私は推察している。

 悪趣味だとは十二分に自認しているつもりだが、私は日々様々なSNSを眺めながら「あーこの人毒親になりそう」だ「これはもう手遅れだな」と勝手に“考察”している。

 予め断っておくが、その“考察”を該当アカウントのユーザーや当事者に伝えることは絶対にない。無論SNSにプライベートな投稿、家族や子供に関する内容を載せることは否定こそしないが、個人情報の漏洩や誹謗中傷などのリスクが現存することは紛れもない事実である。正直なところ芸能人や著名人でもない限り「SNSについては匿名を厳守するか非公開で運用するが吉」というのが私の所見だ。

 SNSからその人物像や毒親か否かなど判断する私も大変傲慢であるが、SNS上の振る舞いからでも“かなり強烈な”自己愛を汲み取れるような親が想像以上に蔓延っているのが現実だ。そのような親が今も子供のプライバシーおよび人権をも侵害しているかもしれないと、私は“勝手に”胸を痛めている次第だ。


SNSで子供を利用する毒親たち

 自分の子供(特に新生児期)をSNSに利用しているように見える投稿は、星の数ほど存在する。生まれた瞬間に生年月日、身長、体重、性別、出生地までを全世界に公開される赤ちゃんを見かける度に「いや、プロ野球選手かよ」と私は内心笑っている。しゃべりも覚束ない子供にアテレコを施す、子供に何かを(無理矢理)させる写真や動画も私は苦手なのだが、それは子供がまだ意思表示できないことを親が都合良く利用しているように見えるからだ。それこそ「子供をSNS映えの人形と思っているのか?」と懐疑的な考えに至ってしまうほどに。

 そこから子供が成長していくと、「①自分大好きタイプ」「②自分って可哀想タイプ」「③映え命タイプ」と枝分かれしていく。(※筆者の独断と偏見による)

「①自分大好きタイプ」
 子供の写真や動画を筆頭に毎日の食事、イベント、家族旅行、家事や仕事、その他日常の写真など自分の一挙手一投足を公開する。一見無害そうであるが、個人情報の秘匿に無頓着な場合が多い。時折謎のポエムや育児論、お気持ちなどを公開する。ネイルや今日のコーデ、極めつけに自撮りまで上げ始めるともう地獄へ一直線。

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                        画像はいらすとや様より

「②自分って可哀想タイプ」
 子供や家族に関する投稿の間に育児の大変さや不条理さ、非協力的な配偶者、折り合いの悪い義実家への呪詛を延々と差し込む。機嫌が良いと「幸せ♥」や「いつもありがと☆」と唐突に言い始めるが、数日もすれば平生の愚痴モードに戻る。このタイプを見る度にその悩みや愚痴を共有できる存在がいないのか、そしてなぜ匿名性の高いSNSを利用しないのかと私はいつも疑問に感じている。

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                        画像はいらすとや様より

「③映え命タイプ」
 いわゆるインフルエンサーやそれを目指しているアカウントに多い。フォロワー数、「いいね」、映えを追求するためならば、その努力を惜しまないが、時としてそれが“行きすぎる”こともある。映えのために子供が嫌いな食材を使う料理を作る、子供が内心嫌がっているのに映える写真や動画を撮ろうとする、そしてSNS運用のために子供や家族との時間を失うといったように。

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                                画像はいらすとや様より

 確かにSNSには「自分も有名なれるかもしれない」「もしもインフルエンサーになれたら」「あの人のようになりたい」といった夢の欠片が無数に落ちている。あるいは「人から称賛されたい」「あの人には負けたくない」という欲望を絶妙に満たす仕組みがSNSの至る箇所に散りばめられている。だから全員が叶えられるとは限らない夢を追い求めたり、根強いコンプレックスを埋めようとしたりと、現実世界で傷ついた自己愛の修復するために人はSNSというものに耽溺するのだ。 そのためならば、時として自分自身や子供、そのプライベートを切り売りしてまで。


親がSNSにハマると子供はしんどい

 前述したいずれのタイプの親にしても「子供に親を選ぶ権利はないこと」「子供は自分の意思およびSNSに対するスタンスを明確に表明できないこと」を失念しているに思える。何よりも「親自身がこう感じるから子供もきっと同じように感じるはず」という思考は、お門違いもいいところだ。それこそ毒親の発端であり、その“小さな芽”は後に毒の実を結ぶ可能性が大いにあることを指摘しておく。

 何よりもSNSにうつつを抜かす暇があるならば、もっと子供や家族と向き合ったり、自分自身をもっと労ればいいのにと私は常日頃感じている。親という立場である以上、子供や家族を最優先にすべきなのは言うまでもないが、行動の優先順位が「SNS>現実(子供、家族、生活、仕事)」となればもう終わりである。この状態はもはや依存(症)であり、そこからデジタルハラスメントやデシタルタトゥーといったトラブルも起きかねない。「人の噂も七十五日」という言葉があるが、もはやそれが通じない現代社会では親のSNSに関する子供の訴えが今後増加するかもしれない。以前より私はそんな杞憂を抱いていたが、時すでに遅しかもしれない。

 万が一私の母や毒祖母がインターネット上に実名や自撮りを過剰に晒したり家族や他人のプライバシーを侵害したりしていたら、そりゃ殴ってでも止めるつもりである。しかしその“懇願”さえ拒否された日には、思わず両手で顔を覆うことだろう、「頼むよ。いい歳した大人がSNSで浮かれるほどしんどいもんないんだから」と。


もっとも優先すべきは現実世界

 今までに様々なSNSの様々なアカウントを拝見させてもらってきたが、SNSが義務や仕事の一環である場合を除けば、毎日が充実していて心の底から幸せを感じ、日常生活がそれなりに忙しい人は、SNSをさほど利用する暇も必要もないという事実に私は行き着いた。より極端な話をすれば、個人の日記やカメラロール、身内や家族だけで写真や動画を楽しむのでは果たして満足できないのだろうか。子供や家族の健康と平穏無事さえあれば、ほかに何が要るのだろうかと私は思うのだ。無論すべての承認欲求や自己愛を投げ捨てろとは言わないしごく当たり前ではあるが、「現実あってのSNS」を肝に銘じておいて損はないはずだ。
 そして不遜なのは百も承知であるが、親になった以上は自分自身やスマホばかりを見つめるのではなく、その双眼を子供や家族に向けていただきたいものである。そして見ず知らずの人間からの甘言密語や「いいね」を盲信するよりも目の前の子供や家族との信頼を築き深めるべきであるからだ。

 繰り返しになるが、私はSNSの利用自体は決して否定しないし、プライベートな内容や子供に関する投稿も自己責任に基づいていれば一向に構わない。しかし運用方法を弁えないと、瞬く間にその強い中毒性に足下をすくわれてしまう。フォロワーや「いいね」の数に加えて、最近はアフィリエイトなどの金銭事情が絡んでくるケースもあるからだ。それらに担がれ踊らされると、現実と仮想世界が入れ替わるのは時間の問題であろう。

 今後SNSに依存するような毒親が根絶することは無論望ましいが、その実現は絶望的であると私は考えている。この現代社会で生まれてしまった強い自己愛が各の腹中で蠢き続ける限りは。


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