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『麒麟がくる』斎藤道三の後継者としての織田信長と明智光秀

ぼくは、坂本龍馬と陸奥宗光の関係性に人間関係の理想を見る。頭でっかちで仲間に馴染めない若者の才能を発見し、信頼し、ポジションにつけてあげる。しかし才能を発揮する途上で龍馬は斃れる。政府転覆を企んでも、伊藤博文がまた才能を買って外務省で登用、留学させ、外務大臣にまでする。

陸奥は若い頃に龍馬と経験した修羅場を糧にし、伊藤にも恩を感じ、不平等条約の改正に生涯をかけた。1894年に領事裁判権を撤回させると、歴史における自分の役割を終えたかのように、その3年後に肺結核で亡くなる。お互いの信頼に基づく権限の移譲。いい仕事が生まれる条件じゃないだろうか。

明治天皇における、西郷や山岡鉄舟、昭和天皇におけるジョージ5世とか、青春時代に受けた影響っていうのは大きいものだよね。磯田先生が、斎藤道三が、家系を限りなく軽く見た、究極の実力主義者、織田信長と明智光秀を生み出したって言ってたけど、これも青春時代の影響だよな。

今日『#麒麟がくる』終わったけど、あまりにも実力主義で部下がついてこれなくなった斎藤道三の後継者としての織田信長と、美濃の守護の土岐氏も不必要なら殺してしまう下剋上の斎藤道三の後継者としての明智光秀の両方を本能寺の変で表現したのかもね。相容れない2人の分人が、ぶつかって共倒れになるという悲劇というのは面白い解釈だ。

信長も秀吉も、実力主義で、部下に立身出世の物語がたくさんできたけど、秀吉は、立身出世した実力派の親父が死んだら息子の領地を極端に減らしたりとかして、家系による統治の要素が弱かったので、結局ながく安定するシステムを作れなかった。譜代の家臣を大切にした徳川家が長く安定した政権を作ったのとは対照的だ。そのへんは本郷先生の『歴史のIF(もしも)』という本に載ってた話。

ともかく『麒麟がくる』面白かったですね。



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