「コルクラボのメンバーが書いたコルクラボに関するnote」を集めたゆるーいマガジンです #コルクラボ
Netflixのオリジナルドラマ、『サンクチュアリ』を見た。これは日本の相撲の実際の現場で起こっていることを丹念に取材したドラマであるとともに、少年漫画的なカタルシスもある作品で、夢中で最後まで完走した。『あしたのジョー』のなかに、力石を殺してしまったジョーが対戦相手の顔面を撃てなくなってしまうエピソードがあるけど、あれと似たような描写があったりして、キュンとさせられた。 この作品の主人公の猿桜のやんちゃぶりを見て、昔からの相撲ファンは、八百長や「品格がない」という名目でい
仕事で必要があってアニメの『N・H・Kにようこそ!』を見ている。全24話の後半部分とかまったくの初見なのだが、21話で主人公のバディの山崎がこんな事を言う。 作者の滝本竜彦は1978年生まれで、氷河期世代のど真ん中で、大学を中退して作家になった。僕も一人の氷河期世代として、このセリフにものすごく共感するところがある。 自分の人生を「ドラマ」にするチャンスさえなく、バブルのキラキラには間に合わず、真面目に学生のうちからキャリアを考えるという準備もしなかった若者たち。そういう
ゲームが原作の『THE LAST OF US』がHBOでドラマ化され、U-NEXTで見ることができる。パンデミックとかゾンビっぽい敵とか、よくある設定のファンタジーだと決めつけないで、トライしてみてほしい。そこには『夜と霧』のような、限りなく自由が失われてしまった世界でも「美しく生きる」という自由はまだ残されているという、クリエイターの意思のようなものを感じることができる。 よくあるゾンビや地震や巨大噴火のような天災を主人公の物語上の障害に設定した作品というのは、困難を乗り
冒頭でショッカーと仮面ライダーが戦う場面があるけど、めちゃくちゃに暴力描写が血によって派手になり、残酷な描写になっている。
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』を見てきた。#映画エブエブ の物語は1人の主人公から見たマルチバースではなく、主人公を取り巻く家族や関係者全員のマルチバースをかけ合わせて物語ができている。だから物語が5×5×5のような乗数になっている。 その複雑さによって、始まってからずっと「この映画はどういうテーマを描こうとしてるんだろう」とか「このキャラの動機は?」とか、いろいろな疑問が浮かんでは消え、美しい映像とアクション、皮肉のきいたコメディで楽しませてもらっ
人間は変わる、変わらない日常の料理の力とは2015年の夏に母親が亡くなったのですが、その日になにを食べていたのか、その翌日なにを食べていたのか全く憶えていません。葬儀とか遺産の相続とか、保険の手続きとか、いろいろな非日常のなかで、我を忘れていました。なにかに没頭することで母親がいなくなったことの喪失感を忘れようとしていました。 そうやって母親がなくなってから記憶がほとんど欠落しているなかで、初七日が終わって父親が夜遅く、来客の後片付けをしていた僕に作ってくれた素うどんだけ、
うちは子供が3人いて、全員が中野にある東京コミュニティスクールに通っていた。僕は、そこで前校長のリキさんと出会って、人間として「なにかを面白がる」作法のようなものを深く考えさせられた。リキさんは不躾な言い方を許してもらえるなら「プロの素人」というような人で、いたるところに落ちている日常のなかから、面白い部分をゆっくりと見つけ出す達人だ。そんな達人が子供たちといっしょに学んでくれていることがとてもうれしく感じていた。そのリキさん(市川力さん)と学校の卒業生の対談を読んでいてハッ
タイに初めて行ったのは1991年の2月だったか。大学の語学研究所でタイ語の初歩の読み書きを習い、タイ料理を食べ、サークルの先輩たちの卒業旅行に付き合ってバンコク、アユタヤ、プーケットなどに行った。バンコクで運転手を雇い、プーケットまでジャングルの中を爆走しているバンの中で延々友達と話し続けていた。青春のタイ。だからタイの映画というだけで1.5倍くらいのノスタルジーが発生してしまう体質になった。 そういうことで、『プアン/友だちと呼ばせて』というユーミンの歌詞のようなタイトル
うちの子供達(小学生)の夏休みの自由研究に付き合うこと9年目。わたしも既に自由研究サポートのベテランの域に入っているのでこの時期に考えをまとめておこう。うちの子供達が通っているのは中野にあるTCSという学校。そこでは自由研究には仮説が大切と指導される。 ①そもそも問題はなに? 仮説というのは、問題に対する「仮の答え」のことだから、自由研究で仮説を持つためには、解きたい問題を持つことが必要。それを宿題のために見つけようとすることで、自由研究は最高につまらなくなる。子供の普段
この記事を読んで気づいたことがある。 スコセッシの『エイジ・オブ・イノセンス』とかコッポラの『アウトサイダー』のような80年代に撮られた青春映画が好きなんだけど、自分でもうまく言語化できずにいた。『セント・エルモス・ファイアー』のようなベタなものも大好きで、自分でも不思議に思っていた。 川添さんのインタビューを読んで、僕は多分「失われたイノセントな時代」という要素が入っている作品のもつ「ノスタルジア」に感情を動かされているんだなと気付かされた。前述した作品にも入っているし
ライターを引き受けてからこんなに「大変なことだったか」と後悔した『観察力の鍛え方』のことが、Cotenラジオで話されていたからちょっと思い出を書いてみた。 −−−−−−−− 人間はバイアスから逃れることができないから、「観察する」というのは自分がどういうバイアスで世の中を見ているかを意識すること。でね、バイアスは自分が体験した「物語」から生まれると思ってる。 バイアスをもって行動するとそこに「物語」が生まれる。「観察」というのは自分が生きている物語の中で、バイアスに従って
実話を基にした映画で『シルクロード.com』という作品を観た。これは、違法な薬物など、通常の通販で扱えないブラックな商品の通販を、ビットコインを使って行う裏サイト『シルクロード.com』を作った男と、それを追いかけた刑事の物語。サイトを作った男も破滅し、捕まえた刑事も、捜査の過程に関わった汚職で破滅する。史実通りではなく、刑事はいろいろな個人のエピソードのミックスで作られたキャラだという。テーマとしては面白いのだが、刑事のキャラが架空なのであれば「なぜハッピーエンドにしない?
水の中に一滴のインクを落としてその色素が広がっていくように、地方の寒村に犯罪者が入り込み、負の連鎖が続いていく物語。ヤングマガジンで全3巻で完結した筒井哲也さんのサスペンスマンガが原作になっている。 柏木ハルコ『花園メリーゴーランド』とか、二宮正明『ガンニバル』のような閉じられた村社会の異形を描いたマンガで、古くは横溝正史の『八ツ墓村』や『犬神家の一族』とも共通するような気味悪さがある。 ミステリーとかサスペンスは「閉じられた世界」でストーリーが進まないと、犯人の可能性が
コルクラボというコミュニティで、月に2回のリアルの定例会をやっているころ、渋谷のブックラボ東京に多くて50人くらいの人が集まり、zoomでも50人くらいの人が集まっているということがよくあった。 定例会の後にはいつもリアルの懇親会があり、懇親会の2次会なんてものも毎回あったと思う。そこでは50人は、3人〜5人くらいの小集団になり、それぞれに思い思いに話したいことを喋り、周りでどういう話題が走っているかをそれとなしに聞きながら、興味のあるグループになめらかに移動していた。だか
これだけ読むと、「だいぶ説教臭い映画かな」と思えてくる。しかし観た感想は「エンタメの王道」だったし、『ブラス!』のように音楽で人生を切り開くという古典的な型を使ったストーリーだった。かなりベタと言ってもいいかもしれない。 この作品の新しさは、主人公のルビーの父母と兄は聾唖者で、言葉を話すことが困難だということ。そういうマイノリティを主人公の家族に設定していること。ルビーは、漁業を営んでいる家族の手話の通訳として「ヤングケアラー」の役割を担っている。彼女の音楽の才能と、家族の
中国は1979年から2014年まで「ひとりっ子政策」という人口コントロールをやっていた。 だから、4人の祖父祖母、2人の親という6人でひとりの子供を育てるということを「1−2−4体制」という。日本でも6ポケットといって、6人の親族で、孫を可愛がるから、孫のランドセルがどんどん高価になる一因は少子化だと言われている。 この作品の主演であり、監督と脚本も兼ねているジア・リンが1982年生まれであるから、きっとひとりっ子なんだろう。映画の中でも主人公に兄弟のいる気配はない。母親