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バブルがはじけて日本が失ったイノセンス

この記事を読んで気づいたことがある。

バブルは、確かにイノセントな時代だった。その時代をくぐり抜けて、日本の社会は成熟を目指すことになった。
しかし何をもって、「成熟」とするかは難しい。今の日本で目につくのは、「成熟」よりも「あきらめ」かもしれない。

上記記事より引用

スコセッシの『エイジ・オブ・イノセンス』とかコッポラの『アウトサイダー』のような80年代に撮られた青春映画が好きなんだけど、自分でもうまく言語化できずにいた。『セント・エルモス・ファイアー』のようなベタなものも大好きで、自分でも不思議に思っていた。

川添さんのインタビューを読んで、僕は多分「失われたイノセントな時代」という要素が入っている作品のもつ「ノスタルジア」に感情を動かされているんだなと気付かされた。前述した作品にも入っているし、ブラット・パックと言われた80年代の若手の俳優がたくさん出演している作品にもそれを感じる。『ヤングガン』とか『プリティ・イン・ピンク』とか『レス・ザン・ゼロ』とかにも。

失われた30年の直前、1989年は未来永劫この繁栄が続くということに、みんながうすうす疑念を感じながら「ええじゃないか」とバブルに踊った最後の年だ。僕は不動産物件や株の価値をキャッシュフローで考えるととんでもない割高になっているということを当時も知っていたし、大学生だったから投資もしてなかった。親父に「銀行も何行か潰れるかも」といったら笑って否定されたけど、親父はそのことさえ忘れてしまっている。

バブルを失ってから振り返ると、当時はまやかしだと思っていたことがすごく「イノセント」な時間だと感じる。失ったものへのノスタルジー。『バブルへGO』のような作品が大好きなのもきっとこの理由。僕があと5年早く生まれていたら、バブルの中で踊る人間だったろうなと思う。だから、自分が少し遅れて、バブルを俯瞰できる立ち位置で眺められたことは幸運だったんだろう。

バブル景気の発端は中曽根政権の「アーバンルネッサンス」という政策だ。1982年に首相につくと山手線の内側の建物は全て5階建て以上にするといって、容積率を緩和した。容積率が倍になれば、その建物から上がるキャッシュフローは倍になり、それに従って不動産の価値もあがる。パリやニューヨークなどの大都市と比べたときの東京の低層ぶりが際立っていた(実は今も)し、耐震技術も進歩していたので当然の政策だった。

オイルショック後の不況の中、国鉄の民営化、容積率の緩和など、キャッシュを使わない経済振興をしたという点で中曽根さんの頭の良さを感じる。多分、容積率緩和で上がった土地の値段で、国有資産である国鉄の土地を売り抜けるという長期戦略だったのだろう。この汐留の31ヘクタールの土地をバブルで売り抜けていれば、国鉄の債務が大幅に縮小されていたはず。売却すればバブル景気を助長するという風評に負けて売却を伸ばした挙げ句、国の一般会計に引き継がれて「国民の借金」になったのは24兆円、ロシアの軍事費の3倍以上。

話がそれたけど、まあ、イノセントから成熟を目指そうとしたバブル後の日本は、まだイノセントだった時代のことを忘れられず、成熟できずに、なにもかもあきらめてしまっているのかもしれない。


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