kabocyaが売れない理由
秋
街並みの灯火が心地よく思える季節、みなさんはいかがお過ごしでしょうか。
私は日々こちら(note)やsuno(作詞)の創作活動をしていますkabocyaと申します。
日々の暮らしのなか物事を考察をしたり、詩(poem)やショートストーリーを綴り活動をしています。
トライ&エラーを繰り返しては、SNSというグローバルな世界を仰ぎ驚いたり、後ずさる事もしばしば…ありがたくもお叱りや御指導頂く事もあります。
"おいおいkabocya、このままでいいのか"
"kabocyaのくせに、手前はまだ半人前だろ"
一日の終わりには、こういった自問自答が反芻する事も無きにしも非ず。
これまでの活動期間ですが、始めの一歩から1時間、一日に1ヶ月…一年と少しが経ちました。
おかげさまで挑戦の場所を通し、SNSを通して直接質問をさせていただいたり意見交換などもさせていただく機会もありました。
私自身は未だに学生過程をスムーズにおくれていないこともあり大変貴重な時間を分けて頂いたように思うんです。
こちらの場所をお借りしてになりますが、ありがとうございました。
意見交換の場面が折り重なっていくと同時にkabocyaは文章や創作活動のモノで仕事はしないの、チャレンジはしないの…そう声を掛けていただいた場面があったんですね。
こちらは自身のなかでの結論の話になりますが、創作活動のモノを見える化し商品として届ける事は、今の私にはできません。
文字ひとつ音ひとつなど相手に届ける事は、それは贈る相手へ責任をとれるのか(謝罪を含めできるのか)…こちらはあくまで自身のマイルールですが、その考えに至るんですね。
SNSにAIが活躍し共存し定着しつつあるなかで、道徳心や肌感に感じ表現していくモラルそして各々のルールが発展途上していく上で、それぞれの生活水準の上で要となるのでは…自身はそう馳せる時間があります。
情報化社会は確かに住みやすいく過ごしやすい…その反面時折に息がしづらく圧迫感に苛まれるように自身も月日を歩み、いっときに一日を乗り切っているように思えてなりません。
私もその一人です。
だからこそ現代社会において、肯定も否定もない景色・光景がより際立って癒しに感じるように思います。
※終始個人的な意見になり恐縮です
終わりに
今回は現代社会から仰ぎみる自身の創作活動について、そしてSNSや AIとの関わりについて自身の考えを綴らさせていただきました。
拙い文章ではあったように思いますが、こちらを見つけてくださり、お時間を頂戴しまして感謝申し上げます、ありがとうございました。
それでは…〆 kabocya