なぜ新成人は"イキる"のか?
どうも。
Kabaddiです。
先日1/14は成人の日。
今年は新たに123万人の方が成人を迎えられ、各地で成人式が催されました。
成人の日といえば、やはりこういうニュースや事件。
横浜市で行われた成人式では、複数人が酒に酔って式典に乱入し、一時騒然としたそうです。
こういうニュースやツイートを見ると、
「今年もやってるなあ」
と漠然と思ってしまっていたのですが、
なぜ、毎年こういった"イキる"新成人がいるのでしょうか?
今回はそのメカニズムについて考えていきたいと思います。
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"イキる"メカニズム
「何者でもない自分」という焦り
"イキる"新成人は、それまで高校や自分たちの小さな社会で(悪い意味で)活躍してきた人たちでしょう。
今でもあるのかはわかりませんが、全国制覇とか、他校をシメるとか、そういったことで自己を確立していっていたのかもしれません。
そんな新成人は、高校を卒業し、大学へ進学、もしくはそのまま社会人として働き始めます。
そこで生じるのは、「自分が何者なのか」という漠然とした焦りです。
それまでは高校や小さなコミュニティで無茶をして確立してきたアイデンティティが少しずつ時間をかけて失われていくのです。
このままただの人間になってしまうのか、クラスのバカにしていたあいつは大学でなにかしているらしい、あいつは働いて金をたくさん持っているらしい。自分には何がある・・・?
さながら少年映画や小説のように、「自分が何者か」について悩み、それを発揮できる場を探し求めます。
そこにベストタイミングで現れる、
成人式という自分だけのためのステージ。
「成人」「大人の仲間入り」というアイデンティティを確立させてくれる甘い響き。どんなに魅力的なことでしょう。
「俺は俺だ!」そう強く思った彼らは持ち前の無限の体力と、若者らしい柔軟な想像力で自分の存在をアピールしようとします。
幾人もの強い思いは、「赤信号をみんなで渡ってるぜ!」というヤンキー特有のマインドにも火を付け、結果として上記のニュースのように警察や県の職員という「大人」に牙をむく、という一周回って幼稚な行いに出てしまうのです。
いろんなことを覚えて、鞭のように鋭い切れ者になったって、
それで仕合せになれなかったら、一体何の甲斐があるんだろ
(サリンジャー「フラニーとゾーイー」)
思春期の少年・青年のこころを巧みに描写したサリンジャーも言っています。こういった自分はどこに進んでいくんだろうという漠然とした不安が、"イキる"新成人たちを突き動かすのです。
もうちょっと違った面からも考察してみましょう。
「先輩」という神様
新成人たちには「先輩」がいます。
それは新成人たちが属していたコミュニティでは神様として扱われる、憧れのマト。
そんな先輩たちが、去年の成人式、ひいては一昨年、その前も"イキる"ことで自分をアピールしていたらしいと聞いてしまっては、先輩の背中を追うことそのものに価値を見出している新成人は、
「俺もああなりたい」
といてもたってもいられなくなるもの。
ニュースなんて見ない。見るのは先輩の背中だけ。
これも思春期特有の視野狭窄であり、アイデンティティ確立の初期の方法、模倣です。
こうやって新成人はまんまと"イキる"のです。
さらにもう一つ。
「同い年しかいない」という最高のステージ
先輩の背中を追ってきた新成人たちは、同い年のなかで抜きん出たい、という思いも持っています。いかに「先輩たちに近づけるか」を示したいのです。
しかし、先輩がいる場ではそこまで出しゃばった真似はできないし、後輩がいる場では逆にそこまでしたらナメられてしまうかもしれない。(彼らにとって後輩からのナメは最大級の侮辱です)
そんな時。同い年だけが何人も、何千人も、何万人も集まるイベントがあることに気がつくのです。
そう、成人式です。
そこで抜きんでることは、同世代のなかで一歩リードできることに他なりません。
またしても新成人は、自分の存在を示すためにその脳みそをフル回転させて様々な仕掛けを施し、成人式へと向かうのです。
そして大人たちに噛みつき、ニュースになるのです。
"イキる"新成人は減少するか
断言します。減りません。
上記のようなマインドを持つ人間は数多いますし、人によって価値観はそれぞれであり、その価値観は滅多なことでは変わりません。
ネット上でどれだけ「上下スウェットでドンキに来る人」が揶揄されていたとしても、そもそもそういう人はネットでその揶揄を発見しません。
同じように、新成人も先に書いたメカニズムで"イキり"に至るのです。
ただし、もしこの文章を「来年は絶対に"イキる"!」と心に決めている人が読んでいるのであれば、一つだけ忠告をしなければなりません。
それは、「"イキる"新成人」というエンタメの見られ方についてです。
「"イキる"新成人」というエンタメ
「大人の仲間入り」をテーマにした成人式において、公的権力に向けて反発する行為は、もはや大人と呼ぶことはできません。
つまり「自分はまだまだ子供である」ことを全身全霊をもってアピールしていることになるのです。
それを見た大人たちがどう思うか。
「あらあらかわいいわねぇ〜」
と思うのです。
エンタメの方向性としては動物番組となんら変わりません。
パンダの赤ちゃんが木登りをしている動画を見るのと同じ表情で、
"イキる"新成人を眺める人がほとんどです。
(現場で大変な思いをされる警察のかたや、居合わせた真面目な新成人たちはそうではありませんが)
メディアを通して見る"イキり"には「かわいらしさ」があるのです。
それは果たしてあなたのなりたい姿でしょうか。
何者でもない自分が何者かになりたくてやっていることが、パンダと同じエンタメになってしまっていいのでしょうか。
いまいちど、考え直してください。
これからの"イキり"の話をしよう
これまで延々と続いてきた"イキり"の歴史はこれからも繰り返されていくとは思いますが、近年、新たな"イキり"の形が出てきています。
それは、「インターネット"イキり"」です。
TwitterやInstagramなどのSNSを通じて、日々色々な発信を行い、年齢を隠して(あえて明示的に示さずに)、他のユーザーと繋がっていた新成人は、ある日おもむろに狙いすまして
「これから成人式〜」
と唐突に投稿します。
すると、
「この人まだ20歳だったの!?」
「20歳でこんなに色々発信しているの?!」
などというフォロワーからの驚きツイートと賞賛ツイートを得ることができます。これらを美味しくいただくのが「インターネット"イキり"」です。
すでにある程度確立されたアイデンティティのスパイスとして「成人式」を使っていく、上記で考察したメカニズムとは全く違った新しい"イキり"です。
こうした新しいスタイルは今後もSNSの発達などによって様々な発展をみせていくことでしょう。
これからの新しい"イキる"新成人の登場が楽しみでなりません。
最後に
思いもよらない分量になりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございます。(3000文字を超えています。)
"イキる"新成人のメカニズムとこれからの"イキり"、について解説しました。
来年はどんな"イキり"が見られるのでしょうか。
それでは、これからを"イキる"新成人に、幸多からんことを。
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