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野球小僧がドロップアウトしてから音楽業界で働くようになるまでのお話・その2

その1はこちら

地元の中学に進んで硬式野球のクラブチームに入ると、生まれ月の関係で夏まではリトルリーグでプレー。リトルとかシニアはアメリカで作られた基準で世代が区切られるから日本の少年野球→中学軟式とはちょっとずれる。ちなみに僕らの頃は早生まれは不利だって言われてたけど、来年からは12月31日が区切りになるから今度は早生まれが有利になるのかも。

何はともあれ夏からシニアリーグに進みまして。

シニアからは金属バットを使うものの、グランドの広さやボールの規格も全て大人と同じ。つまりプロ野球と同じスケールでプレーすることになる。なおその時点での自分は身長せいぜい150cmくらい。同級生の中でも小さいし、先輩たちはさらにもっとでかい。ここからはもうとにかく必死。

平日夜に塾から帰ったら走る。長距離だけじゃなくて坂ダッシュも。
コースや場面を想定しながらの素振り。
筋力が全然まわりよりも弱いから腕立て・腹筋・背筋。

今振り返ってもわりと頑張っていた気がするし、このあたりまでは性格も真っ直ぐな良い少年だったと思うw 眠すぎて塾休むこともしょっちゅうあったけど、成績もまあ人よりは良かったし(笑) ただ筋トレを毎日やらない方が良いだとか、正しい知識はこの頃知らなかったなぁ…。プロテインも今みたいに当たり前のものではなかったし。


そんなこんなで数ヶ月後。

中2の春頃にあっさり肩が壊れる。

僕にとって、上のステージを目指すような野球人生はもうここで終わり。


正確にはずーっと痛かったし、初めて痛くなったのは小学生の頃だった。ませた女子たちに誘われて行ったお花見で、なんもしてなくても肩がめっちゃ痛くて変な汗かいてたのも覚えてるし(笑) あの公園まだ桜あるのかな。

なにせ成長が遅くて身体が小さいから休むって選択肢が頭に全く無かった。
先輩も同級生も自分より凄いやつらがいるのに、休んでしまったらさらにどうにもならなくなってしまうと思ってた。

身体の回転を使って投げたりしてだましだましやってたけど、最後は朝起きたら左手の指先がほんの少し動くだけ。ウォーミングアップしたらなんとかならないかと思って練習に行ってみたけど全然どうにもならず、監督に半泣きで報告。いやー、青かったw  口の中カラッカラになってたなww

その後はバットもろくに振れないし、衝撃が伝わると肩に激痛が走るからしばらく球拾い。病院に行って色々検査もしてリハビリもだいぶ長いことやったけど、結局元通りにはならずじまい。小学校の卒業文集に、「プロ野球選手になってお母さんに契約金1億円プレゼントする」と書いていた少年の夢はわりと早めのタイミングであっさり砕け散りました。まあそもそもそこまでの選手でもなかったんだけどね。

その後、20年以上たって身体も筋力も当時と比較にならないくらい大きくなっている今でも、左腕にはダメな角度があって左手で電車の吊革を掴み続けることはできない。


野球に限らず、スポーツに打ち込んでいる子供および選手、そしてその親御さんたちや指導者の方々には『二度と戻らない怪我は当たり前にある』ということを頭に入れて欲しい。

選手には『限界と思っていなくても取り返しがつかないことが起きてしまうことがある』ことを知って欲しい。

なかなか難しいことではあるんだけど、そうした事例の集合知を共有できるプラットフォームを作ろうと思っています。ほんの少しでもそうした悲しいことが起きなくなるように。

自分の経験があるせいか、よくある「努力は必ず報われる」とか「夢は信じれば叶う」といった言葉は個人的には大嫌い。だからそういう綺麗事をやたらと前面に出してくる某系列アイドルも嫌いw しかもあのグループの指標は”資金”でしかないし、音楽が記録されたメディアが”ゴミ”になっているのも切ない。

目標がある時に、自分に足りないものや在るべき理想像が浮かべることが出来ていたらそこに向けて積み重ねていくのは当人にとっては当たり前のことでしかないし、特別努力してるとも思っていない。まわりからどう見えていたとしても。

夢や目標に向かって必死こいて頑張ってても、取り返しのつかないことが起きてもう自分にはその道がなくなってしまうことなんて世の中に腐るほど転がってるわけで。

努力が大事なのはわかる。
夢や目標が大切なのもわかる。
でも、どうにかこうにか心を折られずに現実世界で生きていくのに本当に大事なことはそれじゃない。

ここのところプロアスリートの引退後の人生を指して『セカンドキャリア』が話題になることが増えたけど、本当は学生でも社会人でも色々なフェーズでそれは起きているものだとも思っています。それこそ就活だって『セカンドキャリア』とも言えるわけで。だからこそ、様々な局面で発生するキャリアの分岐点を支えるコミュニティプラットフォームを立ち上げるのが現在のひとつの目標。現時点ニートだけどww

閑話休題。

そこからは長いことスコアラーみたいになってたせいか、最早プレイヤーとして自分に未来がなくなったことを受け入れたせいなのか、このあたりから常に物事を俯瞰で見る客観性が身につきました。これはその後社会人になってからかなり役に立っているから怪我もそんなに悪いことばっかりってわけでもない。正直、同期のピッチャーのフォームバランスのズレやクセはどのコーチよりも自分が1番細かく気付いてたと思う。そいつも肘壊したけど…。

この辺から天の邪鬼な人格が形成されていったのですが、自暴自棄とまではいわなくとも目標を見失って彷徨っている中3の僕を見かねてオカンがアコースティックギターを買い与えてくれます。ヤマハの当時2万くらいのやつだったかな。

ギターは通常のレギュラー、つまり右利き用のものならば左手でコードを押さえることになる。指先の皮の問題はあれど、ぶっ壊れた小僧のリハビリにはうってつけ。世のギター初心者がおそらくほぼ全員苦しむ『F』と『B』のコードはもれなく抑えられずに音が鳴りゃしない(笑) 野球でデッドボール喰らって左手の親指が折れたこともあって不便なところもあるにはあったけど、なにせぶっ壊れたなりにいただいていた野球推薦も断っちゃって野球の道を諦めた以上他にやることもないからギターについてきた教則本と一緒にひたすらに練習。ずーっと練習。


このヤマハのアコギがなければ、その後音楽の仕事をすることもなかった。

ここが、ほんとの意味で僕にとっての音楽人生の始まり。


たぶんつづく。

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