風来坊Ka-z(KAZUYA.M)

新潟県人会歴史・まち探訪部代表 にいがた史遊会代表 幕末越後歴史伝管理人 しもまちメン…

風来坊Ka-z(KAZUYA.M)

新潟県人会歴史・まち探訪部代表 にいがた史遊会代表 幕末越後歴史伝管理人 しもまちメンバー(歴史・まち歩き担当) 歴史好きかれこれ20数年…( ˙-˙ ) 新潟の歴史をメインに発信していきます。 #新潟偉人伝 #幕末越後偉人伝 #新潟日ノ本一

マガジン

  • 幕末越後歴史伝(北越戦争シリーズ)

    1868(慶応4)年1月3日、鳥羽・伏見の戦いを皮切りに約1年4ヶ月にも及ぶ旧幕府軍と新政府軍の武力衝突が勃発。それが「戊辰戦争」でした。 その中でも、筆者の故郷である新潟県を舞台にした「北越戦争」。これもまた凄絶な戦いで、新政府軍は予想だにしない苦戦を強いられることになったのです。 そこで北越戦争にフォーカスし、北越戦争の舞台や人物などを不定期ながらマガジン形式で紹介していきます。

最近の記事

  • 固定された記事

長岡のある偉人の法要へ、そして母方の祖先の地へ再訪

史遊会グループの代表にお声掛け頂き、長岡のある偉人の法要へ参加させて頂くことになったのだが、参加して諸々頭に浮かぶ何かを書かずにはいられないので、noteに記すとしよう。 1.興国寺への再訪 2.昌福寺 3.栄涼寺での法要そして忘れかけていた何か 4.光福寺への再訪 【1.興福寺への再訪】 新潟市に住む俺からすれば、長岡市には車にせよ電車にせよ容易に足を伸ばせるところではない気がする。だからこそ、この機を逃す訳にはいかまいと、まず初めに興国寺へ。 こ

    • 2024年のはじめに

      能登地震。記憶は定かでは無いが、数年前に珠洲市が自身で被害を受け、その凄絶さを映像越しから感じていた。 まさか、そこから時をそこまで経たずしての今回の地震。新潟も被害を受けている中、俺自身は体調不良もあって自分の体がだるくてフラフラしていると思っていたら、親が珍しく大声を上げたのでただ事ではないと知り話を聞くと、家が揺れている、と… そこからニュースを見て、漸く現実に戻った。あの美しい景観で有名な能登半島、その姿があまりにも悲惨。涙も言葉も出てこない。 その最中、13年

      • 一筋の光明

        頭を抱えるくらい難しい問題でも、僅かなヒントを得る事で見えてくるもの。昔から自分に課して続けている「祖先探し」。 過日、長岡の重鎮にご教示頂いた史料を探しに中央図書館へ。普段は借用出来ない史料との事で、特別な手続きを経て読む事が出来た。 そこには確かに宗家が保管している掛け軸に記載のある祖先の名前(何代前の人かは曖昧だが…)が細かく記載されていた… 家系図もないのに見つけられたその瞬間、あの激動の戦の中を生き抜いた祖先には本当に頭が上がらない。とは言え、自分の祖先も敗者側

        • 「峠」のその後、気になるなら縁の地を歩きませんか?

          ↓新潟県人会 歴史まち探訪部グループページ https://www.facebook.com/groups/442151996165954/?ref=share 17日(金)に公開された「峠」。 話はCMでご存知の方もいると思うが、河井継之助の北越戦争開戦より少し前から没するまでの間の話となっている。 では、継之助に付き従った長岡藩士やその他北越戦争に参戦した他藩士の足取り、継之助が只見で没した際に周りにいた人達は?気になるのではないだろうか。 そこで、福島県を舞台に約

        • 固定された記事

        長岡のある偉人の法要へ、そして母方の祖先の地へ再訪

        マガジン

        • 幕末越後歴史伝(北越戦争シリーズ)
          0本
          ¥100

        記事

          「峠」で語られない継之助亡き後の長岡藩士たちを題材とした史跡巡り(素案)

          継之助亡き後の、長岡藩士たちを題材とした史跡巡りについて、ザックリだが素案を作ってみた。(長岡は一度やっているため、それ以外の地域にフォーカス) 【只見】 ・河井継之助記念館 ・医王寺(継之助の遺灰の埋葬地) ・野尻代官所跡 ・牧野忠訓宿営所跡 【会津】 ・旧会津飯寺(山本帯刀、渡辺豹吉斬首の地) ・阿弥陀寺 ・鶴ヶ城 【その他オプション】 ・大龍寺 ・会津藩松平家墓所 ・天寧寺 ・泰雲寺 ・融通寺 その他オプションに関しては長岡藩士云々ではないが、新潟にも関わりのあっ

          「峠」で語られない継之助亡き後の長岡藩士たちを題材とした史跡巡り(素案)

          「峠」を見て思うこと。

          基本映画を見ても、ネタバレやら感想やら言葉にしないタイプなので、何を思ったか?と聞かれると伝えるのが難しい。 小説の峠に関しては、実を言うと読み流した程度で深くは読んでいない。というのも、歴史・現代等問わず「小説」が苦手。というのもあり、学生時代から小説における問題で、「登場人物の心情やら筆者の思いを述べよ。」と書かれていたとする。分かるわけないだろう…その当時を生きていないから、イメージしても限界があるし、その人の立場になり切った上でどう思うか考えようにも、壁にぶち当たる

          「峠」を見て思うこと。

          【番外編】一途に慕い続ける難しさと凄さに心打たれる

          そもそも恋愛に疎い人(俺)が、こんなタイトルを付けるってのもどうなのかと思いながら、ある歴史を追っていたら付けずにはいられなくなり、このタイトルとさせていただいたこと、予め申しておきます。 先週、大役に抜擢されたイベントを無事に終え直ぐに撃沈したため、リフレッシュがてら「大内宿」界隈へ行ってきました。 約20年ぶりの訪問でしょうか。 【1.高倉神社】 大内宿の最奥へ向かう途中に石製の鳥居があり、そこを潜って約300m弱進むと、今度は木製の鳥居があり、そこを潜って登った

          【番外編】一途に慕い続ける難しさと凄さに心打たれる

          気になっていたあの寺へ

          ※写真はメインの目的地に寄る道中に撮影した、村松の鹿ですのであまり気にせず(笑) はい、どうもです。 今回は、五泉のある寺そして墓を見てきたので、簡単に解説しようと思います。 【目次】 1.「峠」の撮影舞台にもなった滝谷慈光寺 2.黄金の里近くに眠る?武将の墓 1.「峠」の撮影舞台になった滝谷慈光寺 滝谷慈光寺に行く前に何ヶ所か史跡は巡っていたところですが、今回のメインは滝谷エリアにある慈光寺です。 慈光寺の本堂まではこの看板から約500メートルほど

          気になっていたあの寺へ

          【ZEROまち歩き@押切、歴史・まち探訪@宮内・摂田屋】(後編:宮内・摂田屋)

          押切の散策を終え、いよいよ本番へ。 このご時世なので、参加枠も縮小し開催。 その前に……… 長岡に来たらこれ!(※新潟市に住んでいても食べてはいるが…) 青島食堂のラーメン!(写真は宮内駅前店) 開店前にもかかわらず既に常連と思しき方数名が待機。 老若男女問わず愛されているあの味。 食べたことない人も、この情勢が落ち着いたらぜひご賞味を! さて、ここから本題に。今回のまち歩きのテーマは「醸造のまち 摂田屋」。目次は以下の通り。 1.何故、摂田屋をまち歩きのテーマに

          【ZEROまち歩き@押切、歴史・まち探訪@宮内・摂田屋】(後編:宮内・摂田屋)

          【ZEROまち歩き@押切、歴史・まち探訪@宮内・摂田屋】(前編:押切)

          本番を前に、どうしても寄りたいところがあり「押切駅」で下車。 ふらっと歩く道中見かけた光景。田植えを始めるための準備に朝早くから汗を流している男性。気付いてくれたようだ会釈してくれた。こういう方々がいて、はじめて生活が成り立っていると改めて感じた次第。 大黒古戦場にある戦死供養塔。 一度、新政府軍の手に落ちた長岡城。 慶応4年6月2日、見附・今町の戦いを皮切りに長岡藩の逆襲撃が始まった。継之助自ら戦地に赴き指揮を執る。また、同戦いには山本帯刀や二見虎三郎(小千谷談判に

          【ZEROまち歩き@押切、歴史・まち探訪@宮内・摂田屋】(前編:押切)

          しもまちでのまち歩きを振り返る

          まだまだ完成度を上げるために、自分の下見する時間を費やさないといけない。開催する度にそれを痛感した次第。 まち歩きを企画し始めたきっかけは、大叔父が元シティガイドであり、サシで色々な史跡へ連れて行ってくれた。個人的には、1人史跡巡りは彼これ10年以上やっているが、誰かを連れて行ったり、引っ張ったりしてやる事など当時の自分には全く想像出来なかった。新宿勤務時には、一般来園者に歴史を教える機会もあり、そこから県人会の中で歴史のグループを作ったり、新潟市を拠点とした市民活

          しもまちでのまち歩きを振り返る

          【番外】東日本大震災10年の節目そしてこの先へ

          今日3.11で、東日本大震災の発生から10年の節目を迎える。 テレビ越しでは、ただ揺れが凄いだけだと思い込んでいた自分に対し、情けないという感情が今でも残っていたりする。 自分自身の記憶を辿りつつ、生涯忘れないために記録しようと思う。 1.3.11当日 2.職員としての被災地に入る 3.1年ぶり被災地入りと復興の進み具合 4.震災の被害を受けた親友との11年振りの再会 5.あれから10年とそして俺自身が思うこと 【1.3.11当日】 前日は専門学校の卒

          【番外】東日本大震災10年の節目そしてこの先へ

          近代史跡めぐり(レポート)

          2月14日(日) 西大畑町公園をスタート。 まずは、地獄極楽通り。現在の西大畑公園はかつて刑務所が建っており、当時の名残を感じさせるレンガがある。 そして、西大畑公園を左手に右側を見ると、料亭「行形亭」。一方はまるで天国、もう一方は地獄。これに因み命名されたと言われる。 次に、行形亭隣にある旧斎藤家別邸。かれこれ10回位は行っているのだが、毎回疑問に感じていたことが。それは…俺が見た新発田藩主溝口の誰かが描いた絵があったはず…だが、ない? そこで職員の方に尋ねると、

          近代史跡めぐり(レポート)

          戊辰戦争シリーズを始める前に

          この度、戊辰戦争シリーズをこのnoteにて掲載したいと思います。(既に非公開グループではいくつか掲載しており、それらも含めて不定期更新のマガジンにしようと思います) さて、歴史に関心をもち早24年くらいですかね。人生の9割は歴史です(笑) 両親がアウトドア派で、渓流釣りやらダイビングやらスキーやら得意としていたので、陰キャ(と言ってもインドア派では無いですが…)の俺とは大違いでした。そんなある時、親父から福島へ行くぞなんて言われドライブがてら行ったわけです

          戊辰戦争シリーズを始める前に

          coming soon

          先日、山形~福島と横断し、いつもの寄り道「道の駅にしあいづ」でいつものように史跡の名所図を読んで思った。 そう言えば「戊辰戦争シリーズ」長らく停滞させていたので、そろそろ腰据えてやろうかと。正直言うと、戊辰戦争以外にそこまで熱中になれた歴史の出来事は俺にはない。 あの1年4ヶ月の間で起きた激闘は、半日で決着がついた天下分け目の戦いとは、またさらに訳が違う。(関ヶ原の戦いは、諸々諸説渦巻いているため、比較できないのもまた事実ですが…) それに「戊辰戦争シリーズ」の中でも、

          はじめて、しもまち【まち歩きプレイベント】

          ※先にお詫びしますが、雑談というか独り言形式で書きますので、かなり緩い文章としています。御容赦を… 9月26日に予定していた「はじめて、しもまち」プロジェクトのまち歩きプレイベント。 当初、予報では降水確率50%と出ていたところ、当日になると天気回復していたらしい… 延期したので気を取り直し、10月3日当日。 この日の朝一のニュースでもハッとした。何故なら「新潟の下越エリアは、午後に強い雨と落雷に注意」と。 一応「晴れ男」で通っているのだが、開始直前まで小雨が降り最悪

          はじめて、しもまち【まち歩きプレイベント】