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【番外】東日本大震災10年の節目そしてこの先へ

今日3.11で、東日本大震災の発生から10年の節目を迎える。

テレビ越しでは、ただ揺れが凄いだけだと思い込んでいた自分に対し、情けないという感情が今でも残っていたりする。

自分自身の記憶を辿りつつ、生涯忘れないために記録しようと思う。

1.3.11当日

2.職員としての被災地に入る

3.1年ぶり被災地入りと復興の進み具合

4.震災の被害を受けた親友との11年振りの再会

5.あれから10年とそして俺自身が思うこと

【1.3.11当日】
前日は専門学校の卒業式で、仲間達と想い出を語りながら夜遅くまで飲み明かしていたと思う。俺の出身校は、グループ内の合同卒業式と単体の卒業式と2つを同日に行っていた。また、試験や就職活動及びバイトなどで疲れが抜けきれなかったのか、3.11当日は少し体が重く感じていた。

俺の中では、大学進学を一旦捨てて上京も縁なしと決意していたのだが、まさかの地元での試験は失敗し、受かったのが全て首都圏だった。でもこれがあったからこそ、色々と考える分岐点へと後に導かれることになって、今になるのは想像できなかったに違いない。

PM2:46、宮城県牡鹿半島東南東沖を震源とした大きな地震が発生。一瞬にして東北地方の太平洋側エリアは、変わり果てたのだった。

【2.職員として被災地に入る】
専門学校卒業後に中央へ入省し1ヶ月経った頃、被災地へ仕事に行く機会があった。仕事先は岩手県宮古市及び山田町。同期5人と引率の先輩の計6人だったかと思う。

首都高速道路を乗り、仕事先の宮古市へ着くや否や、目の前の光景に言葉が詰まった。

地震による津波の影響で、建物は残りつつも扉や窓を突き抜けて内陸地まで被害が及んだことが容易に分かり、背筋が凍った。(2011.5月下旬頃撮影)

写真には無いが、避難場所でもあった山田町の公民館に寄り被災者の方と話す機会があった。昼だからまだしも、これが夜や朝方ならもっと最悪な結果を招いただろう、そう仰った。声を大にして言いたいくらい辛いはずなのだろうに、話を聞く間一切顔には出さなかったと記憶にある。どう応えられるか分からないが、今できることをやるだけ。そう思って1週間仕事をしていたと思う。

主に全国各地から来たボランティアの方々と一緒に、瓦礫や泥などの処理をした。泥には油分・水分を含んでおり、掻き出すにも通常の倍以上は時間を要しただろう。とにかく我武者羅だった。

山田町から宮古市へ移動途中の1枚。

【3.1年ぶりの被災地入りと復興の進み具合】
入省して2年目には別の部署へ配置換えになったものの、担当業務が各事務所への監査もあったことから、希望を出して東北を行く機会を貰った。
東北を管轄する事務所が仙台市にあったため、監査を前に被災地の復興状況を見るべく、女川エリアへ。全国系列のニュースや、女川出身の俳優中村雅俊さんが故郷へ訪れたまさにその場所から、ニュースで映った建物を見た。あのままの光景だった。

根っこからもげた様に丸々倒れていた。人が作ったものだからいつかは壊れるとは分かっていても、あまりに酷い光景だった。同時に過ったのは、東北へ引越した親友の安否はどうなのか?同じく仲の良い知人に聞いたが、連絡先等は入手出来ず、ここでSNSを始めた。

【4.震災の被害を受けた親友との11年振りの再会】
小学6年へ学年が上がる前に、その親友は引越した。まあとにかく遊んだ記憶しかない。気兼ねなく話せる数少ない親友だけに、ショックだったな。
出張に行ったからこそ、ハッと親友が東北に引越したことを思い出せたし、どうにかこうにか連絡は取れないだろうかと奔走した。
SNSを始めて暫くすると、向こうからフォローと連絡が来た。そして、郡山で11年振りの再会を果たす。僅かな時間だったけれども、当時の思い出といい被災した時の状況を詳しく聞けたことが、テレビで放送されている情報だけでは不足している点も得ることが出来、やはり自分で現地に行く大切さを痛感した。

【5.あれから10年とそして俺自身が思うこと】
今日で発生から10年の節目である。ちょうど20歳を迎えた年の出来事なので、振り返ると学生の頃よりも時が過ぎるのを早く感じずにはいられない。

復興の進み具合に関しては、「徐々に進みつつある」と言う方もいれば、「まだまだ時間を要するだろう」と言う方もいる。たまたまテレビで見ていた震災の特集番組に、10年前に訪れた岩手県山田町の現在の様子が映し出された。発生以前の姿に戻ることはまずない。歴史が好きだからこそ色々と調べていく中で、その概念だけは紛れもない事実だと思っている。

被災直後へ現地に訪れた際に1番痛感したことが、被災された方は自分の安全確保ももちろんだが、何よりもボランティアや仕事で復興支援に来ていた人への思いやりの強さが凄かった。僅かな時間ではあったが、その時の一言一言に温かさを感じたし、5月下旬にも関わらず真夏のような暑さで体力・気力共に奪われそうな中、踏ん張れたのはそれがあったからだろうと、この節目が近づく度に思い出す。

現地での仕事を終えた後、これだけはと思った事を今後も陰ながら続けて行こうと思うし、10年前に足を運んだ岩手県山田町をはじめ、時間の許す限り東北の各地へ足を運び、あの時の記憶を辿ってみたい。

※最後に、3年くらい前に新潟関連の歴史を探すべく訪れた、福島県白河市の白河小峰城の石垣。全国系列の放送ではまず見ることのなかった震災による被害はかなりのものだったと、現地の方から話を聞けた。この時もまだ修繕作業の途中だったが、今では遊歩道の通行含め完全復旧を果たした。

【自分の足で現地へ行き、当時を振り返り今を知る】

あの時被災した地へ行き自分の目で見たからこそ、この考えはこれから先も胸に刻み続ける。

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