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vol.59 フローベール「ボヴァリー夫人」を読んで(芳川泰久訳)

平凡な生活に不満を持ち、きっとどこかに幸福な場所があるはずだと、ドラマチックな人生を夢想するマダム・ボヴァリーのエマン。刺激を求め不倫の恋に落ち、気がつけば生活も乱れて借金が膨らみ、やがて破綻し服毒自殺をするという俗っぽい筋立て。それでも、その描写は丁寧で繊細でリアルに心に入ってきた。

人間をありのままに描くとエンマが出来上がるのかもしれない。当時のフランスの不安定さの中でエンマが生まれたのかもしれない。とにかくエンマを愚かなマダムとして片付けられない。

ふっと、この悲劇的なヒロインを思うと、僕にも似たような感情があったように思う。

遠い昔、学生のころ、テレビドラマや小説などの創作の世界と、生きるための現実社会の区別もつかず、バレなければいいと、密かな行為で深く人を傷つけたことがあった。自分に優しく安易に借金を重ね、結局親に迷惑をかけたこともあった。これってエンマと似た潜在意識が引き起こしたのではないかと振り返った。

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19世紀のフランス文学の名作とされるこの長編小説、多くの議論の中研究が盛んなこの作品、単なるセンセーショナルな不倫小説であるはずがない。フローベールはなぜ「ボヴァリー夫人」を書いたのか。僕が、自分にも似た感情があると思ったことにつながるのかもしれないと思った。

より深くこの作品を楽しむために、フローベールのことを少し調べた。

1848年、混乱のパリで国民軍に参加し、テュイルリー宮殿で民衆による略奪を目にし、パリ市庁舎で共和国宣言を聞いている。彼が目の当たりにした二月革命の光景はのちに「感情教育」という小説にそのままの形で描いている。(ウィキペディア参照)

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こんなフローベールのことだ。きっとこの「ボヴァリー夫人」にも政治的なメッセージが潜んでいるはずだと思った。あるいは、深い深い人間の根源を見極めようとしたのかもしれない。または、建前と本音の社会の縮図を、この俗物だらけの登場人物に込めたのかもしれない。

以前noteに書いたモーパッサンの「脂肪の塊」(Vol.15)は、近い時代のフランス文学だった。そこには、ドイツ軍に占領され、馬車で逃亡中のフランス人のエゴイズムが、当時のフランス社会を象徴するかのように描かれていた。この「ボヴァリー夫人」においても、労働運動の黎明期とされている時代、貧富の差に苛立ち、激昂した労働者や学生たちが権利を主張し、不安定な国内事情を背景とした中で、節度のないエマンのような現象が生まれたのかもしれない。だってみんなパリの生活に軽薄に憧れる社会情勢なのだから。

多くの近代文学がそうであるように、一度読んだだけでは作者の意図はわからない。読んで調べてもう一度読んで、いろんな解釈を得ながら学んでいく。そうして初めて作品を楽しむことに価値が出てくるんだと思う。とにかく、読者に想像の余地を残すことが名作の基本なのだ。きっとこの「ボヴァリー夫人」も名作なのだ。あれやこれやと考えさせられたのだから。

この作品を読むきっかけとなった朝日新聞の記事がある。そこには夏目漱石の「文学の基礎」を紹介していた。

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小説を書くときに「作家は如何に世の中を解釈するかという点に帰着する」と述べ、そのために「準備のできた眼が欲しい。この訓練はすなわち学問である」と説く。また、「作品と作家の人格」では、フランスの作家フローベルの小説「ボヴァリー夫人」に「生命」があるのは、ボヴァリー夫人の不倫を「善とも思わず悪とも思わず」、作家が感じるままを偽りなく描いたからだと述べる。もしフローベールが「道徳の束縛を受けて自己の人格を偽って、柄にもない懲罰の筆を振るったなら、出来上がるものはイカサマである」としている。(引用おわり)

そんな記事を読み、この作品を読んでみたいと思った。フローベールに関心をもって、他の資料も読んで、改めて「準備のできた眼が欲しい」と思った。そうしてもう一度この作品を読むと、また違った面白さを味わうことができるかもしれない。

それにしても、読みたい本が増えるばかりだ。毎日30分間読書じゃ間に合いそうもない。

おわり

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