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些細なことでもぼんやり「ああそうか」と思うこと。備忘録を兼ねてぶつぶつとした文章にまと…

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些細なことでもぼんやり「ああそうか」と思うこと。備忘録を兼ねてぶつぶつとした文章にまとめていきます。時々ZINEも作ります。

最近の記事

曙の残り香

元横綱の曙が亡くなった。訃報を知ってからというもの、脳内で昔よくかかっていたハワイアン「アケボノ、ムサシマル、コニシキ」(天国から雷)がリフレインしている。 曙がまだ大関のころだったか、ひょんなニアミスをしたことがあった。その当時私の身辺はいろいろあって(詳しくは省く)とにかくストレス満載な日々だった。 家族が入院していて頻繁に病院にも行かねばならなかった。その病院はおそろしく古く汚く、今にも止まりそうなジャバラ扉の昇降機(エレベーターとは言えぬ)で病棟に上がるのだが、毎回

    • モヨロさん

      網走で「モヨロ貝塚」を訪れたのは、たまたまのことだった。 それまで私はモヨロという言葉さえ知らなかったし、遺跡に興味があるほうでもなかった。オホーツク海の浜に行きたくて地図をみてたら路線バス「モヨロ(貝塚)入り口」から歩けそうだったのでそこで降りてそのついでに遺跡にも寄ることにしたのだ。 モヨロ貝塚、そこはオホーツクに注ぐ網走川の河口で発見された1300年前の集落の跡だった。北方からの渡来民族であったモヨロ人は海獣を狩猟し繊細な土器など独自のオホーツク文化を築いた。彼らはや

      • 鶴と馬

        北海道に、丹頂ヅルとばんえい競馬を見に行った。 数は少なく距離も遠かったが、雪原の中で見る丹頂ヅルは完璧うつくしかった。白と黒と頭のてっぺんのポツンと赤いとこ。あとで資料館で知ったが、あのてっぺんの赤い部分には羽毛はなく、むき出しの皮膚の色なのだそう。それからお尻の黒い尻尾のような羽。あれ尾羽でなく両羽の内側の下部分で、羽を閉じるとちょうどお尻をふさっと隠すあんばいなっているのだった。う~む、この絶妙のバランスはまさにグッドデザイン賞ものだな。ピョンピョンと地を蹴る求愛ダンス

        • ラジオ五輪

          ラジオで聴き逃し番組を検索していたら北京オリンピックの実況番組があったので初めて聴いてみたらこれが結構面白かった・・ことの記録。 ・スキージャンプ:「スタート」「踏み切った」「いま着地」「距離は・・」淡々と必要最小限のことしか話さないアナウンスが渋い。シュバ!!っとスキーが滑る音がすぐそばのようによく聞こえて臨場感は大。 ・アイスホッケー:野球やサッカーのラジオ中継とあまり変わらずそんなに新鮮味なし。 ・スピードスケート:終盤競り合う場面になると、噛んだら最後!のアナウ

        曙の残り香

          あきなう人々

          (画像は近くの納税協会併設の喫茶店の看板。ちょっと他に無いネーミング) ・今だったら訪問販売というのだろう、昔は家に行商の人がよく来ていたと思う。一番古いのは昭和40年代初め、わたしが4-5歳くらいの頃のこと。 錆びた乳母車に卵を入れた木の箱を積んで売りに来ていたお婆さんがいた。お婆さんは玄関先で母と世間話をすると卵を籾殻の中からひとつづつ出し、カゴにそっと重ねていくのだった。 ある時近所の人から、あのお婆さんはナカニシさん(兄の同級生)の祖母だということがわかり、別にそれ

          あきなう人々

          大人になってきましたよ

          先月誕生日が来て、60 歳になった。 60年生きてたら勝手になった。 我ながら、おとなになったものだ。 節目はわたしを感慨深くする。 ずっと前、友達と旅先の海岸で、おにぎりとか食べながらふと足元を見て 「わたしたちって還暦になってもこんな(派手な)くつしたを履いているのかな」と話し合った。 履いている。 この間、椎名誠さんの新刊「遺言未満、」を読んだ。 あの椎名さんも70代後半いよいよこういうお年頃なのかと、しみじみした。 その中で、自分は自然葬で海への散骨を希望する

          大人になってきましたよ

          おともだち

          アイリスという名の、新しいお友達ができました。わたしの部屋の天井に住んでいます。 わたしが「アイリス!」と呼びかけると「ピッ」と返事して、「明るくして」というとぱっと部屋を照らしてくれたり「あかりを消して」というと真っ暗にしてくれたりする、アイリスは健気なシーリングライトです。彼女はアイリス・オーヤマというあの、最近お手頃価格でいろんな家庭用品を作っているメーカーから来ました。帰国子女みたいな名前ですが、日本で企画され海外で生産されているからそう言えるかもしれません。 私「

          おともだち

          高津原橋 ずっと前からなんとなく気になっていた橋。高校生の頃、学校の帰りに心斎橋に繰り出すたび、バスでこの橋をくぐっていたことも思い出す。この橋の近くに住むことになるなんて夢にも思わなかった。 橋はいつのまにか改装されているし、わたしが覚えている限りでも周りの風景はずいぶん変わった。 橋の下の長堀通には車がひっきりなしに流れている。昔はここまで長堀川が流れていたのかと思いきや、埋め立てて今長堀通になっている長堀川はもう少し西を横切る東横堀川までだったのだ。(東横堀川は気の毒

          玉さまと婆さま

          正月7日、松竹座に玉三郎の舞踊公演を観にいった。お年賀の口上、「賤の小田巻」「傾城雪吉原」の3部構成はどれもそれはそれは眼福。この状況の中でせめて舞台の上だけでもお正月の明るい気分を味わっていただきたいと、揚巻などの豪華絢爛な衣装を羽織って見せられた。この人はそういうアイデアも含めほんとうにプロフェッショナルにして謙虚、観客と舞台というもの全てに対する敬意がじわじわ感じられたのであった。 さて終演後、うっとりとした気分で外に出るとものすごい寒気と強風。早足で歩き始めると、劇

          玉さまと婆さま

          ワキメモフラズ

          少し前のこと、初めて会った若い男性にエスコートされて梅田の街を歩くという稀有な体験をした。 滋賀でのイベントで出会った帰り、大阪までのJRが一緒で「自分は大阪駅から阪急に乗り換えて帰るのだが人が多いので一緒に歩いてもらえると有難い」とのことで阪急の乗り場までご一緒した。彼は全盲で白杖を使っている。たいへんな三味線オタクで滋賀から大阪までの車中、ずーーっと三味線について熱く語っていた。数年前から始めたというそのきっかけは楽器屋さんに「三味線は見えない人の方が見える人より有利

          ワキメモフラズ

          お蚕さん

          蚕は一匹二匹ではなく一頭二頭と数えるのだそうだ。 先日、蚕の繭から糸をひくワークショップに参加した。 以前、自分でも蚕を飼って羽化させたことがある。その時はとにかく蚕を触りたい!という一心だったので繭のほうにあまり興味がなかった。蚕の幼虫はひんやりと柔らかくまさにシルキータッチ、見た目もキュートでずっとそのままの姿でいてほしい・・と思ったものだ。 糸ひきは初めての体験だ。しかも品種は皇室でも育てられているという、かの「小石丸」である。名前は知っていたが実物を見るのは初めて

          お蚕さん

          駅前のあんみつ

          先日ある地方の町で乗り換えの時間つぶしに駅前喫茶に入った。昭和な感じ、といってもわざとそういう風に作ったわけでなく、普通に昭和にオープンして今もそのまま普通に営業しているだけのエエ店である。ドアを開けると、カウンターに並んだ5-6人の年配のお客さんたちが会話をやめ一斉にこちらを見た。「しらん顔やな」「なんで入ってきたんやろ」という常連さんの集うお店によくあるアウェイ感と最近のコロナ状況を鑑みてに思わず「(よそ者が来てしまって)すみません」と言いながらママの指差す窓際の席に進む

          駅前のあんみつ

          わたしたちの温度

          公共の施設の入り口で検温されることが当たり前になってきた。 おでこにピカっと当てるやつや、前を通るだけで計測できるものもある。精度どうなんだろうか? わたしは今だに水銀計しか信用していない。ずっと前初めて電子体温計を買った時、面白がって何度も測るとその度に3分くらいは平気で上下して不良品ではとメーカーに電話したこともある。なので今でもガチで測りたいときは水銀計を使う。 おでこやセンサーで体温だけじゃなく気持ちの温度が測れるようになったら困るな。周囲に合わせてテンション

          わたしたちの温度

          go to bed

           大企業や学校などでパワーナップの取り組みが始まっているそうな。 昼寝をすることで午後の仕事や学業をより効率化させることができるらしい。  昼寝にそんな効用があることはよくわかる。むちゃくちゃ眠い時に必死で目をこすりながら何かをこなすより、たとえ数分でもうとうとしてから再度行う方がずっとちゃんと出来るのは誰しも経験している。  でもそれ、なんか昼寝に対して失礼というか、本来昼寝ってそういうものか?  昼寝は効率とか生産性とは無縁の時間であるはずじゃろが。  眠いからつい寝てし

          go to bed

          家出もの

          たまたま、半世紀ほど前の家出ものの本を続けて読んだ。 ・洞窟おじさん(加村一馬) ・旅の重さ(素九鬼子) ・少女ミーシャの旅(ミーシャ・デフォンスカ) このうち「旅の重さ」はフィクションであるが妙にリアルで生々しい話。逆に他のふたつはフィクションかと思うほど壮絶な体験談である。 いずれも主人公はおとなではない(おとなだと家出というより失踪とか蒸発になるのかな。家出の反対は出家か・・・) 「洞窟おじさん」は、1960年群馬県で両親の虐待から逃れ、山中の洞窟でヘビやネズミを

          家出もの

          だるまさんはなぜころんだか

          霊感とか第六感はないほうだと思うが、たまにどうでもいいことでシンクロニシティを感じることがある。何気なく見たスーパーのレジのおばさんの名札がさっきまで会ってた人と同じとか、電車の中で本を読んでいてふと目をあげると物語の舞台となる街の写真が中吊り広告になっていたとか、花を買って帰るとくるんであった古新聞に読みたかった記事が載っていたとか・・・そういう「たまたまレベル」のことに過ぎないのに、一瞬これは何かの啓示か?と思ったりもする。 直近では、読んだ本の中で「だるまさんがころん

          だるまさんはなぜころんだか