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些細なことでもぼんやり「ああそうか」と思うこと。備忘録を兼ねてぶつぶつとした文章にまと…

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些細なことでもぼんやり「ああそうか」と思うこと。備忘録を兼ねてぶつぶつとした文章にまとめていきます。時々ZINEも作ります。

最近の記事

牛鬼さんと鍋焼きうどん

7月 愛媛・宇和島に念願の牛鬼祭りを見に行った。 宇和島駅に降り立つとすぐ向こうの方から賑やかなかけ声や笛の音が聞こえてきた。牛鬼パレードがもう始まっているのだ。 音のする方へ向かうと大きな商店街のアーケードの下にでっかい牛鬼さんが行列していた。その数20頭(頭でいい?)くらい。壮観だ。シュロの葉で覆われた茶色の牛鬼さん、赤・白・紫などカラフルな布をまとった牛鬼さん、それぞれさも恐ろしげな表情が却って可愛い。 牛鬼さんたちは順番に街をぐるぐる練り歩いて最終的に須賀川沿いの和

    • リアル・ジョージアにて〜街編その2〜

      蚤の市にも2つ行った。 一つ目はドライブリッジマーケットで、旧ソ連もの雑貨、レコード、ハンドメイドの民芸品や絵画、陶器など何でもあるのだが街の中心地に近いためかやや値段高め。わたしが行った日は天気が悪く店も少なかった。もう一つは少し離れた地下鉄駅前のサムゴリ・バザール。肉や野菜などの食料品エリアと別に日用品、工具、古着、そしてアンティークの広いエリアがある。結構セレクトされたものもあれば謎のオブジェや限りなくゴミに近いものも混在してて面白い。スーパーの商品でもそうだが、ジョー

      • リアル・ジョージアにて〜街編その1〜

        首都トビリシは揺れていた。 ジョージアは、国際エージェント法案(通称ロシア法案。外国から資金を受けている団体の活動を規制するもので、これにより政府の意に沿わない活動を締め出せることになる)を巡って大きな局面にあった。渡航時(5月初旬)はまさにロシア寄りの与党が議会でそれを強引に可決しようとしているところだった。 反発する国民があちこちでデモをしシュプレヒコールを叫んでいた。外務省から要注意メールが来ていたりニュースでもさかんにポリスとの衝突が報じられていたが、私が目にした限り

        • リアル・ジョージアにて〜山編その2〜

          翌日のランチではレイラさんにヒンカリ作りのワークショップをしてもらった。ヒンカリは小籠包みたいに中のスープが美味しい水餃子みたいなもの。モンゴルから伝わったという説もある。トビリシの「街ヒンカリ」はハーブやニンニクを使うのに対しシンプルに塩と胡椒で食べるのが「山ヒンカリ」で形もちょっと違う。一日に500個作ることもあるというレイラさんの手からは手品のように超速で綺麗な形の山ヒンカリが出来ていく。茹でたて熱々を手で摘んでハフハフと中のスープに溺れた。 再び村を歩く。昨夜けっこ

        牛鬼さんと鍋焼きうどん

          リアル・ジョージアにて〜山編その1〜

          トビリシ空港からカヘティ地方へ向かう車窓の風景はビルが消え喧騒が遠ざかり、どんどん長閑になって、まるでタイムスリップしていくみたいだった。 前方の雲の上にそびえるコーカサスの山々には雪が残っている。集落の道沿いにはいくつか商店が点在しているほかは葡萄畑。ジョージアはワイン発祥の地(8000年前から作られていたらしい)とも言われ、特にこの地方は生産量が多くワイナリーもあるが普通の家でも葡萄を育ててワインを作りペットボトルに詰めて露店で売ったりしている。 道の真ん中で轢死体か?

          リアル・ジョージアにて〜山編その1〜

          リアル・ジョージアへ〜はじめに〜

          パンデミックになってどこにも行けなくなった頃、そうだ!妄想でジョージアに行こう!と本やネットでいろいろ調べて遊び、本当に旅したかのような思い込みzine「妄想ジョージア」を作った。その時目的地がジョージアだったのはなぜだろう。 ヨーロッパとアジアと中東そして旧ソ連の文化が交わるその地への漠然とした興味と、ミステリアスなイメージが妄想にふさわしい気がしたのだと思う。 zineを作っている最中はめちゃめちゃ楽しかった。様々なことを知るにつれ今までに訪ねたことのあるどの国とも違う

          リアル・ジョージアへ〜はじめに〜

          科学モヤモヤ相談

          ときどきラジオで「NHK子ども科学電話相談」を聴く。子どもの素朴な疑問に専門家の先生たちが回答する人気長寿番組だ。 この間「血は赤いのに手首の血管が青く見えるのは何故ですか?」という2年生女子の質問があって「おお」と思わず身を乗り出した。これわたしも子供の頃から不思議に思いながら半世紀以上放置していたことのひとつ。  先生の回答は優しかったが笑えた。PCやスマホの色判定アプリで手首の写真を撮って拡大したら青じゃなく濃い肌色になるのでやってみてね、背景の色の補色効果による錯覚で

          科学モヤモヤ相談

          曙の残り香

          元横綱の曙が亡くなった。訃報を知ってからというもの、脳内で昔よくかかっていたハワイアン「アケボノ、ムサシマル、コニシキ」(天国から雷)がリフレインしている。 曙がまだ大関のころだったか、ひょんなニアミスをしたことがあった。その当時私の身辺はいろいろあって(詳しくは省く)とにかくストレス満載な日々だった。 家族が入院していて頻繁に病院にも行かねばならなかった。その病院はおそろしく古く汚く、今にも止まりそうなジャバラ扉の昇降機(エレベーターとは言えぬ)で病棟に上がるのだが、毎回

          曙の残り香

          モヨロさん

          網走で「モヨロ貝塚」を訪れたのは、たまたまのことだった。 それまで私はモヨロという言葉さえ知らなかったし、遺跡に興味があるほうでもなかった。オホーツク海の浜に行きたくて地図をみてたら路線バス「モヨロ(貝塚)入り口」から歩けそうだったのでそこで降りてそのついでに遺跡にも寄ることにしたのだ。 モヨロ貝塚、そこはオホーツクに注ぐ網走川の河口で発見された1300年前の集落の跡だった。北方からの渡来民族であったモヨロ人は海獣を狩猟し繊細な土器など独自のオホーツク文化を築いた。彼らはや

          モヨロさん

          鶴と馬

          北海道に、丹頂ヅルとばんえい競馬を見に行った。 数は少なく距離も遠かったが、雪原の中で見る丹頂ヅルは完璧うつくしかった。白と黒と頭のてっぺんのポツンと赤いとこ。あとで資料館で知ったが、あのてっぺんの赤い部分には羽毛はなく、むき出しの皮膚の色なのだそう。それからお尻の黒い尻尾のような羽。あれ尾羽でなく両羽の内側の下部分で、羽を閉じるとちょうどお尻をふさっと隠すあんばいなっているのだった。う~む、この絶妙のバランスはまさにグッドデザイン賞ものだな。ピョンピョンと地を蹴る求愛ダンス

          鶴と馬

          ラジオ五輪

          ラジオで聴き逃し番組を検索していたら北京オリンピックの実況番組があったので初めて聴いてみたらこれが結構面白かった・・ことの記録。 ・スキージャンプ:「スタート」「踏み切った」「いま着地」「距離は・・」淡々と必要最小限のことしか話さないアナウンスが渋い。シュバ!!っとスキーが滑る音がすぐそばのようによく聞こえて臨場感は大。 ・アイスホッケー:野球やサッカーのラジオ中継とあまり変わらずそんなに新鮮味なし。 ・スピードスケート:終盤競り合う場面になると、噛んだら最後!のアナウ

          ラジオ五輪

          あきなう人々

          (画像は近くの納税協会併設の喫茶店の看板。ちょっと他に無いネーミング) ・今だったら訪問販売というのだろう、昔は家に行商の人がよく来ていたと思う。一番古いのは昭和40年代初め、わたしが4-5歳くらいの頃のこと。 錆びた乳母車に卵を入れた木の箱を積んで売りに来ていたお婆さんがいた。お婆さんは玄関先で母と世間話をすると卵を籾殻の中からひとつづつ出し、カゴにそっと重ねていくのだった。 ある時近所の人から、あのお婆さんはナカニシさん(兄の同級生)の祖母だということがわかり、別にそれ

          あきなう人々

          大人になってきましたよ

          先月誕生日が来て、60 歳になった。 60年生きてたら勝手になった。 我ながら、おとなになったものだ。 節目はわたしを感慨深くする。 ずっと前、友達と旅先の海岸で、おにぎりとか食べながらふと足元を見て 「わたしたちって還暦になってもこんな(派手な)くつしたを履いているのかな」と話し合った。 履いている。 この間、椎名誠さんの新刊「遺言未満、」を読んだ。 あの椎名さんも70代後半いよいよこういうお年頃なのかと、しみじみした。 その中で、自分は自然葬で海への散骨を希望する

          大人になってきましたよ

          おともだち

          アイリスという名の、新しいお友達ができました。わたしの部屋の天井に住んでいます。 わたしが「アイリス!」と呼びかけると「ピッ」と返事して、「明るくして」というとぱっと部屋を照らしてくれたり「あかりを消して」というと真っ暗にしてくれたりする、アイリスは健気なシーリングライトです。彼女はアイリス・オーヤマというあの、最近お手頃価格でいろんな家庭用品を作っているメーカーから来ました。帰国子女みたいな名前ですが、日本で企画され海外で生産されているからそう言えるかもしれません。 私「

          おともだち

          高津原橋 ずっと前からなんとなく気になっていた橋。高校生の頃、学校の帰りに心斎橋に繰り出すたび、バスでこの橋をくぐっていたことも思い出す。この橋の近くに住むことになるなんて夢にも思わなかった。 橋はいつのまにか改装されているし、わたしが覚えている限りでも周りの風景はずいぶん変わった。 橋の下の長堀通には車がひっきりなしに流れている。昔はここまで長堀川が流れていたのかと思いきや、埋め立てて今長堀通になっている長堀川はもう少し西を横切る東横堀川までだったのだ。(東横堀川は気の毒

          玉さまと婆さま

          正月7日、松竹座に玉三郎の舞踊公演を観にいった。お年賀の口上、「賤の小田巻」「傾城雪吉原」の3部構成はどれもそれはそれは眼福。この状況の中でせめて舞台の上だけでもお正月の明るい気分を味わっていただきたいと、揚巻などの豪華絢爛な衣装を羽織って見せられた。この人はそういうアイデアも含めほんとうにプロフェッショナルにして謙虚、観客と舞台というもの全てに対する敬意がじわじわ感じられたのであった。 さて終演後、うっとりとした気分で外に出るとものすごい寒気と強風。早足で歩き始めると、劇

          玉さまと婆さま