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高津原橋
ずっと前からなんとなく気になっていた橋。高校生の頃、学校の帰りに心斎橋に繰り出すたび、バスでこの橋をくぐっていたことも思い出す。この橋の近くに住むことになるなんて夢にも思わなかった。
橋はいつのまにか改装されているし、わたしが覚えている限りでも周りの風景はずいぶん変わった。

橋の下の長堀通には車がひっきりなしに流れている。昔はここまで長堀川が流れていたのかと思いきや、埋め立てて今長堀通になっている長堀川はもう少し西を横切る東横堀川までだったのだ。(東横堀川は気の毒な川だ。上に高速道路が作られて一生日陰者になってしまった。)高津原橋は、大正時代に東西に強い勾配にあるこのあたりに市電を走らせるため開削した時、利便性のために架けられたらしい。

ということは、この高津原橋の下は地面だったのだ。通りの左右いっぱいまでぎゅうぎゅうと土が詰まっていたということだ。上には家もあったかもしれない。その家の人は、長堀川にたくさんの橋がかかってずっと西まで続く風景を毎日眺めていたかもしれない。

その人に今の景色を見せて、通りの下には地下鉄走っててクリスタもあってスタバもあるんやで、と言ってみたい。その人に、うちらの時には川あってばんばん船走ってて川沿いに鰻屋もあったんやで、と言われて見たい。そして互いに羨ましがり合いたい。

「橋を渡る」のが好きで今までいろいろな場所で橋を渡って来た。ここからあっち、あっちからこっち、橋を渡るだけで何か違う世界を感じたり、感じなかったりした。
高津原橋を渡る時の「ここからあっち」は、時間の流れのそれだ。
小さな、数秒で渡り切れる橋だけれど、いつもゆっくり歩いています。


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