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モヨロさん

網走で「モヨロ貝塚」を訪れたのは、たまたまのことだった。
それまで私はモヨロという言葉さえ知らなかったし、遺跡に興味があるほうでもなかった。オホーツク海の浜に行きたくて地図をみてたら路線バス「モヨロ(貝塚)入り口」から歩けそうだったのでそこで降りてそのついでに遺跡にも寄ることにしたのだ。

モヨロ貝塚、そこはオホーツクに注ぐ網走川の河口で発見された1300年前の集落の跡だった。北方からの渡来民族であったモヨロ人は海獣を狩猟し繊細な土器など独自のオホーツク文化を築いた。彼らはやがて南下してアイヌの祖先になったとも言われているがその全貌はまだまだ謎が多い・・・などということも、今回遺跡内の博物館で初めて知ったことです。

バスを降りてぶらぶら行くとすぐ遺跡の敷地内(住居や墓跡が点在している)に入る。と、突然林の中から70歳くらいの老女が現れた。がっしりした体格、日焼けした顔、素足にぶかぶかの靴。正直ぎょっとした。(まさかモヨロ人が?)向こうも私に驚いたふうなのでなんとなく会釈するとふつうに会話が始まった。近所に住んでいてときどきここへ散歩に来るそうだ。彼女はそばの桑の木から赤紫の実をもいでは美味しそうにつまんでいる。私にも甘そうな実をすすめてくれた。二人で指先を赤くして食べながら私はぼんやり、その朝読んでいたエッセイのことを思い出した。「庭の桑の実が熟れるとすぐヒヨドリに食べられてしまう・・」という件りがあったのだ。最近たまにこういう、偶然レベルの他愛ないシンクロが起こるので、お、またか・・と嬉しいような怪しいような心持ちになった。

それからその人は遺跡の中を案内しながらアオサギの巣の場所や頭上を飛び交う鳥の名前(ヒヨドリもいた)、珍しい白のハマナスのことなどを話してくれた。わたしが海岸に出たいのだというと、近道があると言って草をかき分け蜘蛛の巣を払ってワイルドな道を案内してくれた。

浜には海鳥のほかには誰も居ない、私はその人と2人、生まれて初めてオホーツクの海を見ました。
一緒に彼方の水平線を眺めながら彼女はいろいろな話をした。50年以上前、漁港近くの水産加工業の夫の元に嫁いできたこと、夫はガンですでに亡くなったこと、イクラやホッケの話、流氷が冬ごとに薄くなってきていること・・・それはふしぎな時間だった。「車でもっと案内してあげようか」と言ってくれたが遠慮してそこで別れた。その後私は長いこと浜辺で貝や石を拾って遊び、また近道を通って遺跡に戻り博物館に入ってみた。

館内もやっぱりほかに誰も居ない貸切状態、モヨロ人の暮らしぶりのわかる展示をゆっくり見ることができた。手先が器用と言われる彼らは精巧なつくりの道具や繊細な飾りをつけた土器など多数残している。特に粘土や獣の牙で作ったクマのオブジェは素朴で愛らしい。また大正時代この貝塚を発見したのが学者でなく、アマチュアの考古学好きな理髪師さんだったということにも親しみをおぼえる。

最後の方のコーナーには、さっきまで自分が居たあの浜辺から流氷に向かって船を出し勇ましくモリを振るっている等身大モヨロの人形があった。
その顔に、私はもう見覚えがあるような気がするのだった。

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