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曙の残り香

元横綱の曙が亡くなった。訃報を知ってからというもの、脳内で昔よくかかっていたハワイアン「アケボノ、ムサシマル、コニシキ」(天国から雷)がリフレインしている。

曙がまだ大関のころだったか、ひょんなニアミスをしたことがあった。その当時私の身辺はいろいろあって(詳しくは省く)とにかくストレス満載な日々だった。
家族が入院していて頻繁に病院にも行かねばならなかった。その病院はおそろしく古く汚く、今にも止まりそうなジャバラ扉の昇降機(エレベーターとは言えぬ)で病棟に上がるのだが、毎回ただでさえどんよりした気分がその昇降機での十数秒の間に倍増するのだった。
ある日いつものようにその昇降機に乗ると、そこに不似合いな芳しい香りが立ち込めているではないか。香水やアロマなどと違うけれど気持ちがぱっと華やぐような香り。その当時私はまだ相撲に興味なくその匂いの正体がすぐわからなかったのだが、病棟に着くとあたりがざわついており顔見知りの看護師さんに「惜しかったねえ〜!つい今、曙関が来ていたのに。下で会わなかった?」と声をかけられて、ようやく、そうかあれは相撲取りのチョンマゲの(鬢付け油の)匂いだと合点がいった。そうそう春場所のころなど街中で若手力士たちとのすれ違いざまに漂う、あの匂いだ。

聞けば曙関はそこの病棟に彼のタニマチの家族が入院していて、そのお見舞いに訪れたらしい。曙のことくらいはさすがにわたしでも知っていたから、マジであんなデカい人が乗ってもこの昇降機が落ちなくてよかった、と思った。そして、ハワイからニホンに相撲取りに来て何やかや言われてしんどい思いして、タニマチの家族見舞いにわざわざこんな古臭い病院まで来るなんて、曙も大変だなと思った。それから、自分だけじゃなくみんないろいろ大変なんだなと勝手に思っては勝手にほんの少し慰められた気がした。

匂いと記憶はふかく結びついていて他にも匂いからいろいろ思い出すことがあるけれど、今でもたまに鬢付け油の香りに出会うと、当時のあれこれがふわっと浮かんできて懐かしいような切ないような気持ちになる。もしあの時ニアミスでなく間近で本人に出会えていたら、単純に「デカい」とか「すごい」とかで終わってしまいこんなに長く記憶に留めることもなかっただろう。

それにしても享年54歳とは。力士あるあるだが、なんとなく自分より年上と思っていたのが実は全然若かったのかと今更ながら驚く。あのボロ病院にお見舞いに行かれた時って二十歳そこそこだったのか・・・ご冥福を祈ります。

(その後病院は建て替えられて今は超ピカピカ。画像は、もし残ってたらこんな感じになってるのでは?という長崎県池島で見た廃墟)


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