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史談会入会

まだ手続きは済んでおりませんが、入会はほぼ確定です(笑)。

地元の史談会入会のきっかけというか、遠因となったのは、『泪橋』。

Xの方では呟かせていただいたのですが、この作品を地元クリエイターの先輩が目に止めてくださり、史談会の会長様にご紹介頂いたのが、きっかけです。

それからさらに、「風流のはじめ館」に伺った際に、只見町からお越しになっていた方々との会話をきっかけに、「風流のはじめ館」のスタッフ様に「ぜひ史談会に」とお誘いを受け、連絡先をお渡ししたところ、会長様からご連絡を頂きました。

最近は歴史小説を書いていることもあり、Xではよく歴史に詳しい方々のポストも流れてきます。
それらのポスト主や地元の方々と交流する中で、私の中で生まれていった危機感がありました。

それは、「歴史はきちんと語り継いでいかないと、あっという間に消えてしまう」ということ。
泪橋で扱った「須賀川二階堂氏の物語」もそうで、私が知る限り、きちんと作品にされたのはおよそ40年ぶりだったはずです。

「三千代姫を偲ぶ会」の方々が作られた冊子が配布されたのが、昭和59年前後。私が小学校に上がった頃の話です。そこからしばらくは人々の記憶に残っていたのでしょうし、松明あかしの折りに、「三千代姫を偲ぶ会」の方々から「昔は姫宮神社から松明あかしの会場まで行列が組まれていた」というお話も伺いました。
ですが、現在はそのようなことはなく、盛り立てていた方々も、高齢化や故人となられたために、かの伝承は、風前の灯火だったのでは……と感じました。
昨年図書館に拙書を寄贈したのは、「地元の歴史が消えてしまう」ことへの危機感もあったからです。

そして、もう一つ。
私が「史談会」に拘ったのは、地元の「歴史」が「売名のコンテンツ」として使われることへの危惧もありました。

こちらでちらっと書いたのですが、やはり地元民としては、単なる「売名コンテンツ」として歴史を粗雑に扱われることには、不快感を覚えます。
先の投稿で確認した事例だけではなくて、明らかに「リサーチ不足」のまま平然と商品にし、販売している人も確認していて、そのような作品を見ると、「何だかなあ……」とため息をつきたくなるのですよね。

祖先らが「子孫に語り継ごう」としてきた話を、そんなに粗雑に扱って良いものかな?と。
自己の利益のために歪んだ形で広く認識されても、祖先たちだって嬉しくなかろうと、思うのです。

仮に、ラノベ寄りやゲーム化などの場合であっても、見る人が見れば元ネタはわかりますし、だからこそ「地元への愛からなのか、単なる売名ツールとして使っているか」は、恐らく一発で分かる。

一例として、幕末~明治維新にかけての「戊辰戦争」の実態は、あまりにも恣意的に情報が歪められ、新政府及びその系譜の人々によって、「正しい歴史=皇国史観」とされ、プロパガンダの素材として使われてきました。
そのために、一世紀近くも敗者側を傷つけただけでなく、東西間に無用の軋轢を産んだと私は考えています。

賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ。

Otto Eduard Leopold von Bismarck-Schönhausen

ビスマルクの有名な格言ですが、眼の前の自分の利益だけでなく、いかにして「100年の計」を以て、ありのままの歴史を伝え、未来の子孫らに残せるか。
少なくとも、ここまで人間が犯してきた数々の過ちを、子孫に繰り返させてはらならない。

ささやかながら、それが「郷土史家」としての私に課せられた、新たな課題だと思っています。

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