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間違っている……けれど指摘できない話

どうも最近、「一次資料」の読み込みに対する感覚がバグっています。
バグの原因はというと、「鬼と天狗」を始め、私が歴史小説のリサーチの一次資料で読み込む資料が、軒並み「文語」「漢文調」だからでしょうか……。

藤葉栄衰記。「泪橋」執筆時のメイン資料の一つです。

もっとも歴史小説を書く人がどれだけ「一次資料」に当たるかは、私もわかりません。
ただし、少し前に「二本松藩」関係者の間で、物議を醸した「二本松藩を扱った」小説がありました。
(※noter、カクヨム利用者の作品ではないです)

基本的には、地元の歴史作品を扱った作品というのは、歓迎される傾向にあると思います。
ただし、いくら「表現の自由」が憲法上保証されているとはいえ、地元人の感情を逆撫でするような作品は、どうかなあ……と、ワタシは感じる次第です。

問題の作品名は伏せますが、

  1. 主人公が藩公(長国公)のご落胤という設定で、命を狙われまくる

  2. その刺客を放っていたのは、嫉妬に狂った藩公の正妻(久子様)だった

  3. 主人公がなぜかチート級の能力を持ち、引き立てられていく。だが、それを聞き入れなかった二本松は、新政府軍によって滅ぼされた

  4. 挙げ句の果に、少年隊の子供たちを守るために「田村」に逃した

みたいなもの。

他にもツッコミどころが数え切れないほどあるのですが、「創作」にしても、これはないな~……と、感じた次第です。

特に私が引っかかったのは、4の子供らを逃した地が「田村」だったこと。
この「田村」が、筆者がどの地域を指したつもりなのかはわかりませんが、三春&守山藩は「奥羽越同盟軍」を裏切っていますので、「無知」で済まそうとするには、少々痛すぎるレベル。
バリバリの敵地に逃がしてどうする……。

地元で「田村」といえば、郡山市田村町か三春を含む田村郡全般を指します。郡山田村町は守山藩領。
いずれにしても、「歴史小説」としてはあり得ない設定に唖然としました。

もう、間違っている「かもしれない」ではなく、明らかに「間違い」というレベルなのですが……。
二本松藩&会津と三春の怨恨は、たまに聞くこともありますしね。これは結構反発する人が多そうです。

それでも私があまり表立って指摘しない理由は、

本当に無知のまま書いていたとしても、小説という形態を取っている以上、「あくまでも創作です」と言い訳ができること。

そして、こちらの方が本音。

流石に、宗教関係者の著作物に対してあれこれ注文をつける度胸はないです……。

世の中、会社の世間話などの席で話題にするのには、3大タブーの話題というのがあるじゃないですか

  • 政治

  • 宗教

  • 野球(お金という話も)

会社によって組み合わせは多少変わりますが、私も宗教系の話が出たら逸します。
作品の背後に、ちょっとだけ「宗教」のかほりがしたので、絶対に噛みつきに行くまい!と固く決心した次第……。

歴史を扱う以上、明治以前に成立した宗教については、「歴史学」の一環として扱うことはありますけれど。


まあ「鬼と天狗」も幕末作品ですし、これも少しばかり「思考が偏向している」人からいちゃもんが付く可能性はあるかもしれません。
幕末の歴史観は、結構論争になりやすいですしね。

ただし、それは「間違っている」「間違っていない」というより、恐らく「視点の問題」だろうと、私は開き直っています。
それくらいの覚悟がないと、歴史小説は書けないと考えていますし(苦笑)。

そんなわけで、西尾さんの企画に乗ってみました。

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