一応、ネタバレタグを付けておきます。
読書ペースは、人それぞれですしね。
さて、拙作(泪橋)は須賀川城攻防戦の場面真っ最中です。
それも、今日で終わりですけれどね。
須賀川方の奇計
下手ながらも図解を作ったので、せっかくですから、公開してみたいと思います。
小説と原作である藤葉栄衰記を照らし合わせると、大体このような感じでしょうか。
例によって原文は面倒くさいので、読み飛ばしていただいてもOK。
あ、藤葉栄衰記には本来、句読点・濁点はありませんので、適当に私が振っています。
この原文から、主人公である図書亮をどのように使ったかは読んでみてのお楽しみといったところでしょうか。
さて、気になっていた「須賀川方」の奇計です。この読解が結構難物で、上の原文を読んで咄嗟に理解できたら、相当な歴史通&古典読解力に優れた方だと思います^^;
特に2日目の堀を挟んでの攻防は、私も理解できなかったので、和田勢、即ち箭部一族(これは、別資料から確定しています)の大手門を巡る攻防戦を、図にしてみました。
さて、それぞれの道具や人員を解説すると、こんな感じです。
堀の水面は塵芥(要するにゴミ)が散りばめられて水面を覆い尽くし、竹や刀槍をうまく隠していたのでしょう。
この中に突入しなければならなかった和田勢、無理ゲーです^^;
橋の構造の解析
橋の構造が、本文からだけではわからないので、これもネットのサイトを散々調べました。
参考にさせて頂いたのは、こちらのサイト。
こちらのサイトを拝見する限り、藤葉栄衰記の記述からすると、どうも須賀川城の大手門に架けられた橋は、土橋と木橋の二重構造だった気がします。
さらにこの橋についてですが、籠城を想定して元の土橋を壊し、橋を掛け替えたと考えられます。
作中では暮谷沢の悲劇から須賀川城攻撃まで4ヶ月あまりのタイムラグがありますが、三千代姫の喪に服す時間や、他の地方に伝令を飛ばして募兵をしていた期間を考慮すれば、多少時間が空いたとしても、不思議ではありません。その間に、須賀川勢はこれくらいの土木工事は出来たのではないでしょうか。
木橋部分
6,7尺(2m前後)の蘆や茅で橋の両側が覆われていたはずですから、堀の様子は渡っている人からは伺えないでしょう。
もしくは最初から、渡ってくる和田衆を焼き殺す目的で蘆や茅を配置したかのかもしれません。
土橋部分
石垣は仮の石垣であり、要石が崩れないように留木を渡してあります。
留木が動くか横木を少しでも踏んだときは、石垣はただちに崩れる。橋を渡ろうとしていた兵士は足場が崩れ、石の下敷きになるシステム。
実際、水堀から逃れようとした和田勢が、この石垣に取り付いて留木を踏んで、石垣が崩れてその石の下敷きになって死んでいます。
やはり珍しい二階堂氏
そういえば、歴史小説で「室町時代は人気がない」と書きましたが、二階堂氏がメインで扱われる事自体、かなり珍しいようです。
以前に千世さんにも仰って頂きましたが、同じような感想をカクヨムでも頂いたので、間違いないでしょう。
そして、カクヨムのコピーも決して大げさではないと思うのです。須賀川
城攻防は本日で終了ですが、その後も一波乱あっただけに💦
そして、ほとんど宣伝してこなかった「泪橋」ですが、有り難いことに、ツイッターではRTまでして頂いております(*^^*)
本当に、ありがとうございます!
気になる?PV数はこちら。ほぼ宣伝していない&そもそも室町が不人気の割には、まずまず健闘しているかもしれませんね。
歴史・時代小説大賞へのエントリーの関係から、アルファポリスでは既に完結しており、少しばかり感慨に耽っているところです。
アルファポリスのみは一話のボリュームが結構あるのですが、先に読みたい方は、アルファポリスからどうぞ!
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