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教科書の危機

図書館に本を返却&新しい本を借りに行って来たついでに、先日書いたトピックを思い出し、資料コーナーで小中学校の国語の教科書を閲覧してきました。
私の地元の図書館は、公立の小中学校の教科書が一通り閲覧できるのです。

そこで驚いたのが、小学校5年生からすでに古典が登場していること。
ほんのさわりだけですけれど、これは結構インパクトがありました。
そして、今年から教科書が変わったためどれだけ学校で実施するかわかりませんが、5年生で俳句、6年生で短歌を作ることが授業の流れに盛り込まれているのです。
簡単ではありますが、季節の変わり目ごとに二十四節季が紹介され、それとともに季語も提示されていました。

もしかしたら、noteのハッシュタグで「#今日の短歌」が登場したのは、このような潮流と少なからず関係があるのかもしれません。

小学校も物語がごっそり削られた

ですが、懸念材料もあります。
小学校の教科書も、「物語」(小説)がごっそり削られていました。そういえば、詩も少なくなった印象を受けました。

端的に言えば、「古典は増えたけれど、その分現代文の小説や詩が削られた」ということ。
これって、「物語を味わう」のは、家庭に丸投げしたとも受け取れます。
さすがに極端過ぎるのではないでしょうか?

何だか「資料の読解」や「グラフを読み解こう」という単元が増えていましたが、肝心の「長文」を読む機会がぐっと減ってしまっているのは、私でも分かりました。
早くから古典に親しむのはいいのですが、その後の現代文への橋渡しを担うパーツが、すっぽり抜け落ちているのです。
あれでは、逆に国語嫌いを増やすのでは?と私は考えざるを得ませんでした。
特に、小学校から中学校の教科書へのジャンプアップは、かなりハードルが高い内容かもしれません。

想像力を鍛える機会を

子どもたちの読書離れが言われて久しいですが、そもそも読書嫌いになる原因の一つが、「想像力の欠如」だと私は思うのです。
昔の作品は、登場人物の喜怒哀楽をストレートに表現していない作品も数多くありました。
その代わり、ちょっとした動作に感情を込めさせる。
そうした読み取りの訓練は、例え学校のテストという結果に反映されるにしても、ある程度までは有効だったのではないでしょうか。

一例として挙げるならば、

彼は、こぶしを握り肩を震わせた。

この短文から読み取れる彼の感情は、「悔しさ」や「怒り」など。

ですが、そのような感情の読み取りが出来ない子供も、今後は増えてくるかもしれません。

やはり多様な想像力を養うには、ある程度読書量がないと育ちにくいというのが、私の見解です。
私たちは、実用文だけでなく小説や物語を通じ多様な人物像に出会うことで、自ずと想像力も鍛えられていたのではないでしょうか。

本に親しむ機会を増やすには

学校の授業内では難しいかもしれませんが、私が学生にすすめるとしたら、ビブリオバトルでしょうか。

ゲーム感覚であれば、子供達も取り組みやすいかもしれませんね。
そして、5分間(ミニの場合は3分間)の間に「読みたい」と思わせるには、要約力を含むプレゼンテーション、客観的な説明など、なかなか高度な要素も含まれていると感じました。

一昔前(二昔前かも^^;)であれば、ハリー・ポッターシリーズの世界的なヒットが思い出されますが、魅力的な作品であれば、多少長くても愛されるものです。
とにかく、教科書で削られてしまった「小説」「物語」にもっと触れてほしい。
そう願って、止みません。

©k_maru027.2022

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