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私たちは私たちの意志で動いているのだろうか?

大きな戦争が起きるとき、多くの場合は戦争をはじめた指導者はその戦争はそこまで大きなものになるとは予想していないケースがしばしばある。ヒトラーもそうであるし、大日本帝国時代の日本もそうであったし、また現在のウクライナを侵攻したプーチンもそうであると思う。

なぜこのようなことが起きるのだろうか?

多くの場合、戦争は国の指導者が起こすものだ。
だが本当にそうであろうか?

実はその背後には国民感情が戦争を望んでいるとしたら?

さらにその背後にはより大きな地球そのものの動き、そして宇宙の動きすら関連しているとしたら?それはオカルトだろうか?

少なくとも現代より過去の多くの戦争は人間の意志だけでなく、その時の気候や食糧事情などが大きく影響している事が歴史的に存在する。火山噴火によりその排煙によって地球が覆われ寒冷化しそれが世界中で戦争に影響したと言う説もある。
だとするならば、私たちが現代において起こっている戦争もまた、こうした地球環境の変化によって人々の不安や不満、怒りになってそれが隣国に対して向けられると言う形で起こったものではないとどうして否定できるでしょうか?
私たちは私たちに知性があり、正しい判断や理性的判断を常にしていると信じています。ですがそれは本当にそうでしょうか?むしろその正しい判断や理性的判断の裏にあるのは大きな感情であってその感情を合理的に説明するためにその論理を後付けしたとどうして言えないことがるでしょうか?
例えば歴史的事実も大きく修正されてることが多々あります。通説として信じられていた判断や行動が実はまったくの偶発的なものであったり、その行動の背後にあったのは全く別な意図であったりするという説が現在、歴史界隈では語られることが多い。
通説とは後付けで合理的でみんなが納得がいくストーリーを作り上げたものである。そして誰かが悪役になり、誰かが正義であったりする。それは後付けの論理であるからだ。
現代起きていることも、実は私たちはあるストーリーを信じ込まされていて実はもっと巨大な何かによって自分の意志とは無関係に行動している可能性がある。私たちの内面にある感情は実は理性的な判断をするものよりずっと大きくて強くそれを引っ張っていくとした場合、世の頭のいい優れてるとされる人はただその感情に論理的な説明を加えることができるだけであって感情に流されているのは我々と変わらない、それどころか動物とすら何ら変わらないとしたら私たちは私たち人間の論理とは結局は人間のためのただの言い訳に過ぎないと言う事になる。

神の信じられていない現代の世界において人間は過去の人間より愚かになっているとしたらむしろ自分たちの力ですべてをコントロールできていると思い込んでるとしたら私たちはとんでもない思い上がりをしているかも知れない。


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