見出し画像

誰かに不満を思って言わない事も隠し事になる

人間関係に疲弊してる人がとても多い。疲労の多くは他人の顔色を伺うことから発生する。何故、顔色を伺うのか?不要な摩擦を避けたり相手を尊重したり自分が良い人でありたかったり嫌われたくないからである。
だから誰かが何かを主張してそれに対して自分の気持ちを言わなかった時、その思いは隠し事になる。隠し事はストレスになる。そのストレスは小さいが毎日同じ人に同じ隠し事をし続けるのは強いストレスになる。
それは苦しみになり、心を壊したり、その人に会いたくないと感じ、本来は好きであった人ですら大嫌いになり、はては憎しみを抱くようになる。
私たちはある程度、摩擦し合い生きていかねばならない例え近いしい人であっても時に自分の意見を述べねらならない。
主張しなければならない。相手はそれによって間違いに気がつくかも知れないし。話し合う事で自分が間違いだと思う時もあるかも知れない。もし他人に疲れてしまうなら少しワガママに生きる努力が必要だ。
良い子でなくて良いし、嫌われても良い、嫌なやつになっても良いとそう思う必要がある。ただバランスは必要でやりすぎると孤立するし、またやらなさすぎると結局はまたストレスをためる。
ストレスを感じている時、それを客観的に見つめる視線が必要である。相手の感情をすべて受け入れる必要はない。しかし相手の感情を感じて不快になる自分の感情は受け入れる必要がある。
それを私はそんな事思ってないと否定するとそれもストレスになる。人間は仮面を被って生き続けることはできない。時にドライにならなければならないし時に優しく、時に嫌なやつにまた冷たくなる時も必要なのだ。
何かの感情に対して感じる自分の気持ちをとても大切にすべきだ。自分の気持ちを尊重し、それを客観的見て自分は間違ってないと自分を励ましてあげなければいけない。デリカシーのない人たちはいつも自己主張が強いし、それらの顔色を伺えば伺うほど自分が破滅していく。
すぐに変わることはできないがまず少しだけ変えられるようになると言い。あえて言わなかった言葉を上手く言葉を選んで言ってみたり、また自分の中で抑え込んでいた気持ちに向き合ってああ、自分今とても嫌な気持ちになってると感じてあげてほしい。そしてその中からどうしてこう思うのか?なぜ、こんな気持ちなるのか考えて自分が納得できる回答を作って欲しい。
生きる事は生存競争で何かしらの形で誰かは誰かを消費して命を削ろうとしてくる。それが直接的でないにしてもだ。戦わないといけない。生きるために戦う。自分の生きる権利を勝ち取る。それが人生であり、それをするのが宿命なのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?