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怒りはすべて「確認不足」から生まれる

あのクソ野郎、殺してやる

あなたも一度はそう思ったことがあるだろう。あるいは今まさに、そう思っているかもしれない。わたしはその気持ちが痛いほどわかる。もしデスノートを持っていれば、3日もあれば書き切ってしまうだろう。それぐらい、わたしは怒りを抱え、殺意を噛み締めながら生きてきた。

世の中病んでいる。
毎日二件以上、この島国のどこかで人が人を殺している。
新宿駅の小田急線ホームを歩いているとたまに、眉間に深い皺を寄せた浅黒い肌の汚らしい小さなおじさんが「・・・殺す! ・・・殺す!」と叫びながら歩いているのを目撃する。周りの人達は言葉にはしないが、「こわ」「気持ち悪い」「バカみてぇ笑」という声が顔に貼ってある。私もそう思った。だが、その汚い、世の中的に死んだ方がいいかもしれないそのおじさんは、俺の姿でもあるのだ。現実に負け続け、人と向き合うことから逃げ続けていたら、俺も確実にそうなっていた。だから笑えなかった。

なぜ、こんなにも怒りが湧いてくるのか。
多分冷静になれば、なんてことのない発言だったのだろう。だが冷静になることができないから、こんなにも怒りが湧いてくるのだ。あの野郎が言ったことが頭から離れない。そして、あの野郎に似たクソ野郎が、ゴキブリのように湧いて出てくる。自分の視界に映るものが、全てゴキブリのように見えてくる。でかいゴキブリ、それらが自分を嘲笑ってくる。ゴキブリの分際で。

このような心境になってしまったらいよいよ人生が終わる。気づいたら、右手に包丁を握っているだろう。その切先は、赤く染まっているかもしれない。
逮捕され、人生が終わってしまう。そうならないためにはどうすればよいか。それを考える時に一つの真理が役に立つ。そのゴキブリ野郎の顔は、よく見るとあなたの親の顔をしているはずだ。

私は以前、アルコールや薬物依存症者を扱う会社を経営していた。依存症者たちの住居を用意し、回復のためのプログラムを提供し、社会復帰を支援する会社だ。経営していたといっても、実態は雇われ社長だ。株主たちから「早く稼がせろ」「早く上場しろ」というプレッシャーを毎日浴び、傀儡として感情を押し殺して仕事をしていた。
ある時、株主から「まともな経営者を据えろ」と指令がきた。若干20代そこそこの若造では、いつまで経っても会社が成長しないことに痺れを切らしたらしい。そこでどこぞやの上場企業で役員を張っていた秋山という、54歳男性がやってきた。その男は副社長に就任した。私とその秋山の、二人三脚の経営が始まった。

私は、ほとんどのおじさんが大嫌いだった。臭いし、顔は汚らしいし、昭和の「こうあるべき」を押し付けてくるからだ。まさに自分の父親のような人間。この秋山も例に漏れず、というかその最たるものだった。ビジネスマンとは、経営者とは、こうあるべき。それで自分自身の首を絞めているような、生きづらそうなおっさんだった。その生きづらさ、息苦しさを象徴するような深い皺が、眉間と額に刻まれていた。

案の定、うまくいくわけがなかった。最初の20日ぐらいは、秋山も我慢していた。俺の「今時の若者は…」を地でいく振る舞いに、眉間をピクピクさせながらもなんとか堪えていた。

2019年8月21日。うんざりする暑さが続いていた。14時からうんざりする顔の秋山との打ち合わせが入っていた。
だがこの日、急遽株主から呼び出された。なんでも、大口の精神病院の院長さんを紹介してくれるとのことだ。うちの会社は精神病院から依存症者を回してもらう集客ルートを敷いていたため、一つでも多くの精神病院と繋がっておきたい。だからこれはチャンスだった。秋山とのどうでもいい打ち合わせ予定をキャンセルし、急ぎ株主の元に俺は向かった。

2019年8月22日。明らかに秋山の機嫌が悪い。俺の前でももはや、遠慮なく機嫌の悪さをぶつけてきた。当然、俺と秋山は喧嘩になった。
「お前なんかと打ち合わせするより、どう考えても株主の紹介に応じるべきだろう」
息子ほどの年齢の若造にそう言われた秋山は限界を迎えた。ああ、はいはい、もういいです、と。立場の強い者に向かっていくことができない、弱い男の典型。秋山は俺と目を合わすことなく、静かな怒りと苦笑いを浮かべ、小走りで会議室から出ていった。

そこから転げ落ちるのは早かった。秋山は俺と顔を合わせることを避けた。そして「俺がいかに酷い経営者か」という流布を会社中に蔓延させ、反対勢力を拵えた。そして客の依存症者にも俺の悪評をでっちあげ、施設を出ていく者が増えた。
秋山を招聘した株主が間に入ったが収まらず。会社は倒産寸前の危機に追い込まれ、俺は鬱病の診断が出た。鬱病には二種類あり、俺は沈む方ではなく激昂するタイプの症状だった。スタンガンを鞄に入れ秋山を攫おうと会社に向かったが、秋山は社員たちを連れて姿を消していた。

秋山の自宅の住所は調べればわかる。今から殴り込みにいき、攫い、殺すか?

本気で考えた。だが実行できなかった。俺は俺で、自分の人生を終わらせる覚悟が持てない、弱い男だった。秋山をはじめ、俺を愚弄した反対勢力の社員たち、そして客である依存症者たち、株主たち。取り巻く全ての存在を殺してやりたい。でも殺せない。身体中に怒りが膨らみ続け、破裂し、廃人となった。

俺はどこで間違えたのだろうか。
俺はどこで、何に敗けたのか。

2019年8月22日。明らかに秋山の機嫌が悪い。俺の前でももはや、遠慮なく機嫌の悪さをぶつけてきた。当然、俺と秋山は喧嘩になった。
「お前なんかと打ち合わせするより、どう考えても株主の紹介に応じるべきだろう」

言うまでもなくここだ。
確認不足
これに尽きる。

世の中の争い事は、全てがこの確認不足によって起きる。
明らかに秋山の機嫌が悪い時に俺がすべきだったのは、秋山を追い詰める言葉を吐くのではなく、一言「なぜ?」と聞けばよかったのだ。だが、それを聞けなかった。
なぜ聞けないのか。それは、どうしようもなく恐ろしいからだ。それを聞いてしまえば次の瞬間、秋山は俺を責め、傷つける言葉を投げつけてくるから。そう思い込んで、怖くて向き合うことから逃げたのだ。

どうせ、相手はそう思っている
どうせ、あいつは俺を攻撃してくる
だから先に攻撃してやれ

世の中の争い事は、全て根底にこの思い込みがある。
日常的にストレスに晒され、他者と向き合う余裕のない人間たち。大人の皮を被った子どもたちで世の中は溢れている。
たくさん傷つけられてきた。もうこれ以上傷つけられたくない。だから相手の一挙手一投足から「たぶん奴はこう思っているだろう」と想像し、自分を防御する行動しか取れない。

俺はいつまでもガキに甘んじている場合ではなかったんだ。
秋山の機嫌が悪い。上司である俺は、秋山を責めるのではない口調・言い方で、「なぜ?」を確認すべきだった。純粋に、あなたとよりよく仕事をしていきたいから、あなたの機嫌が悪いその理由を教えて欲しい。ただそれだけの、簡単な確認をすればよかった。
秋山は何と返してくるのかわからない。俺の思い込み通り、俺を攻撃してくるかもしれない。あるいは、俺の意外すぎる行動に若干感化され、ただ純粋に、機嫌が悪くなってしまった理由を答えるかもしれない。「打ち合わせをドタキャンされ、ぞんざいに扱われている気がして傷ついた」という旨の回答をしてくるかもしれない。そうしたら、丁寧に、「お前を傷つけようとしたわけではないよ」を伝えてあげれば良い。それで、全ては解決する。会社が倒産寸前の危機に追い込まれることはなかった。

ここまで読んだあなたは、

クソつまらねぇ内容だな

と思っただろう。俺もそう思う。
こんな糞みたいな正論、有象無象のビジネス書にうんざりするほど書いてあるわい、と。人生の課題、親の課題と向き合う前の俺だったら、間違いなくそう思っていた。
理屈なんか語るのは簡単だ。誰でもできる。問題は、秋山みたいなこんなクソオヤジに対して、なんで俺が歩み寄ってやらなきゃいけねえんだよ、ということだ。
人間は感情の奴隷だ。心の奥底でどうしようもない嫌悪感がある相手に、丁寧に「なぜ?」と確認することなどできるわけがない。そんな簡単にできることなら世の中から戦争は消えている。

要は、秋山という汚らしいオヤジに対して、俺がどうしようもない嫌悪感があること。これが問題なのだ。

それを考える時に一つの真理が役に立つ。そのゴキブリ野郎の顔は、よく見るとあなたの親の顔をしているはずだ。

秋山というゴキブリの顔は、俺の父親の顔だったのだ。
20年以上もの間、俺を愚弄し、傷つけてきた父親が再び俺の目の前に現れた。
そんな相手に心の余裕を持ち、丁寧に「なぜ?」と確認するなどできるわけがない。

どうしようもない怒りを抱いてしまう相手。その怒りはこころの中で醸成される。なぜ醸成されてしまうかといえば、こころの奥底に親への怒りが横たわったままだからだ。
これを取り除かねばならない。怒りに翻弄され、人生を破滅させてしまう自分を変えるには、そんな自分を作り上げた親と真っ向から向き合わなければいけないのだ。

人間はみな、親から生まれる。
人間はその自我を、親によって創り上げられてしまう。
いくら「親を許そう」と思い込んでも、そんなものは無意味だ。
「とはいえ、親も辛かっただろうから」と同情し、「感謝しなければ」と思い込んでも無理な話だ。親が辛かったからなんて知ったことか。今まさに、あなたが辛いんじゃないか。
あなたをそんな辛い人生に追い込んだ元凶は誰なんだ。

親という、心に巣食うゴキブリを退治しよう。
退治方法は、事細かにこちらに記している。

親と向き合えば、本当の自分を取り戻せる。
向き合うべき人間と向き合える、本当の強さを持った自分に生まれ変われる。
本当の強さを手に入れたら、自分を抑圧してくる全てにNOを突きつけられる。本当の意味で、自分を幸せにしてくれるものだけを選び、勝ち取れるのだ。

わたしでいえば
秋山が機嫌を悪くしていたら、シンプルに「なぜ?」と確認できる。
だがそれでは正直ぬるい。

そもそも
親と向き合えれば、本当の意味で自分を大切にできる。
だから、自分が尊敬できない、しょうもない秋山と、そもそも一緒に仕事をすることすらしない。
いくら株主に「秋山と一緒に経営しろ」と言われても、株主を粉砕することができる。
そもそも株主から「早く稼がせろ」「早く上場しろ」と言われても、「うるせえボケ」と突っぱねることができる。そして、株主を会社から追い出すことができる。

自分の思うがままに、自分の人生を創り上げることができるのだ。

本記事のタイトルである
怒りはすべて「確認不足」から生まれる
について

表面的な部分では、目の前の相手への確認不足。
根本的な部分では、親への確認不足。

なぜ、わたしをあんなにも傷つけたのか?

これを、親に確認していないから。
だから怒りに振り回される人生になってしまうのだ。怒りに振り回されていると、いずれ死にたくなる。

本来の、本当の自分の人生を取り戻すために。
その怒りを、親にぶつけよう。






以下の長編小説、企画出版希望です。
編集者や出版関係者でこちらの内容を本で出版したい、と思ってくださる方は、
kanai@alba.healthcare
こちらまでご連絡ください。

第一弾:親殺しは13歳までに

あらすじ:
2006年。1日に1件以上、どこかの家庭で親族間殺人が起きている国、日本。そんな国で駿は物心ついた頃から群馬県の田舎で、両親の怒号が響き渡る、機能不全家庭で生まれ育つ。両親が離婚し、母親が義理の父親と再婚するも、駿は抑圧されて育ち、やがて精神が崩壊。幼馴染のミアから洗脳され、駿は自分を追い込んだ両親への、確かな殺意を醸成していく。
国内の機能不全家庭の割合は80%とも言われる。ありふれた家庭内に潜む狂気と殺意を描く。


第二弾:男という呪い

あらすじ:
年間2万体の自殺者の山が積み上がる国、日本。
想は、男尊女卑が肩で風を切って歩く群馬県の田舎町で生まれ育つ。
共感性のかけらもない親たちから「男らしくあれ」という呪いをかけられ、鬱病とパニック障害を発症。首を括る映像ばかりが脳裡に浮かぶ。
世界中を蝕む「男らしさ」という呪い。男という生物の醜さと生き辛さを描く。


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