UNWomenの呼びかけと「欧米型男女平等主義」の終焉
少し前、UNWomen(国連女性機関)の呼びかけは男性に「新たな性役割」を押し付けるものだとして炎上した事件がありました。これはまさに、私がnoteで主張してきたことの「答え合わせ」そのものだと思います。
今回は、この一件が意味することは何かを、もう少し深く掘り下げていきたいと思います。
世界にはまだまだ、「性役割規範」を重視する文化圏がある
まず一旦注目してほしいのは、完全にトートロジーになってしまいますが、国連女性機関は「国連の機関」であるということです。
国連に加盟している国は様々です。西洋哲学的な「自由」・「人権」・「民主主義」が一切認められない国もありますし、そもそも相容れない宗教・文化の下にある国も少なくありません。とりわけ「宗教」は、共同体の存続を重視する観点から、男女に厳しい「規範」を課すこともあります。
上の記事のように、「宗教が課す性役割規範が厳格であるほど、高い出生率を叩き出す」というデータまであります。世界にはまだまだこうした文化圏が存在し、国連はその「文化」に対して配慮する必要があるということは、まず念頭に置いておかなければなりません。
「性役割規範」を維持しつつ「女性の権利」を擁護するには?
こうした文化圏に、欧米的な男女平等主義、すなわち「女の社会的地位や人権を『男並み』まで引き上げる」ことを念頭に置いた平等主義思想は、そのまま届くことはありません。むしろそれが導入された文化圏で出生率が低下していることを逆に嘲笑されるまであるでしょう。
そんな中で、どのようにして「(天賦人権論的な)女の権利」を擁護していくか。その「性役割規範」を女に都合のいいように書き換える、という発想が出てくるのは、難しいことではありません。
つまり女に男と同等の権利を与えないにしても、イエの中で無理をさせず大切に扱うべきである、という「規範」を社会の中で徹底させる、そういった方向性が考え得るわけです。「イスラムは女性を蔑視する宗教ではなく、むしろ女性を大切に扱うための宗教だ」などという主張は、ここに立脚しています。
さらに言えば、当の欧米でさえ、「欧米型平等主義」が持続できる可能性は低いです。繰り返しますが、この思想は出生率や人口問題とは非常に相性が悪く、社会の維持は「移民」に頼っているところが多いのです。
当然その移民は、究極的には「(厳格な性役割規範によって)出生率が高い地域」からやって来ています。これには「厳格な性役割規範」に適応できない・したくないという理由で移民するインセンティブも確かにあるのですが、その移民が増えてくるにつれ、「性役割規範」がそのまま持ち込まれ、元の社会との軋轢を引き起こすケースも出てきています。具体例としては、ブルカのような抑圧的服装、性器切除の風習などがあります。そうした「移民」の出生率も、「非移民」より圧倒的に高いなら…??
日本は「非欧米型平等主義」を導入すべきか?
そして今後、日本の男女論においても、「性規範を書き換える」という非欧米型平等主義を導入すべきか否かは、第一の課題になってくるでしょう(あるいは既になっているのかもしれません)。
山田昌弘氏は、近著において「欧米モデルの少子化対策は失敗だった」と主張しました。「それに代わる形の社会改革」は、もはや待ったなしの状況にあります。
私はマスキュリズム左派として、「性役割を書き換えた上で復活させる」ことには断固反対の立場ですが、そもそもそれは日本社会とも日本人(これは民族的な観念ではなく、日本語文化圏の下で暮らすすべての人という意味)とも相性が悪い選択なのではないか、と思います。
元来日本の宗教は、(アーミッシュなどキリスト教右派、イスラム、ヒンドゥー、儒教、ユダヤ超正統派などに比べて)そこまで「性役割規範」に固執していたわけではありません。もちろん統一教会や日本会議は「性役割規範」を奨励する側にいましたが、これもどちらかというと「政策」的要素が強いものでした。またこれは、日本のジェンダー保守主義が長らく「少子化問題」を盾にした批判しかしていなかった理由の一つとも考えられます。
その意味で、日本の「男女格差」の原因を「(有害な)性役割規範」に求めるのには限界があります。むしろ日本の保守派は自主的に「規範の書き換え」をある程度進めており、それによる「性役割規範に収まることの女にとってのインセンティブ」の強化がうまく機能していると考えられます。実際この40年間で男女の地位格差は「なかなか縮まらない」と言われながらも逆に「拡大した」ことは一度もなく、また「専業主婦の幸福度は他のジェンダーやライフスタイルに比べて最も高い」という統計データは各所で出されています。
そして、どんなに「性役割を復活させた」としても、今の若い世代(バブル崩壊以降に成人した世代)の男性の殆どには、それを履行するための甲斐性があるわけではないというのもあります。そもそも彼らが性役割を履行するに足るのならば、ここまでの反発は起こり得ませんし、その失われた原因を「欧米型平等主義の推進」自体に求める向きもありますが、その路線から転向されたところで急激に彼らの状況が変化する、ということも期待できないでしょう。
とはいえ、「性役割規範」を復活させない限り、非婚少子化は加速度的に進むことは確かです。フェミニストたちも、このことに薄々気づいているやもしれません。だからこそこの方向に「舵を切った」といっても過言ではないでしょう。しかしその復活がすべての男性、いや女性であっても「子を産み育てる能力」を持たない人、「子を産み育てる能力」自体に否定的感情を持つ人に恩恵をもたらすということは、私には考えられません。
私は最後まで、こうした規範からの自由を維持しつつ、日本語圏の衰退阻止を模索していきたいと思います。まあ結局は、「人工卵子・人工子宮の技術確立」が最終的解決策になるでしょうが…。