みにくいアヒルの子|自分の居場所は必ずどこかにある
アンデルセン童話の『みにくいアヒルの子』はもちろん昔から内容を知ってはいたけど、実際に原文(の翻訳)で読んだらまたちょっと違った印象を受けました。
こどものころは普通にアヒルがハクチョウに魔法みたいなもので変身したんだと思いましたよね(自分だけ?)。一応説明しておくとアヒルのたまごのなかにハクチョウのたまごが混ざっていたということですね。たくさんいる兄弟のなかで一羽だけあきらかに色も大きさも違うから「みにくい」と評価されたのです。狭いコミュニティのなかで異端だったために「みにくい」と評価されたんだから、じつに気の毒な境遇です。
これはけっして“アヒルよりも白鳥のほうが美しくて優れているから結果オーライだよね”という話ではありません。自分の居場所を探し求めて見つける話です。
兄弟から迫害されつづけて耐えられなくなった「みにくいアヒルの子(=ハクチョウの子)」は棲家を離れて各地を転々とします。人間を含むあらゆる動物のもとへ訪れるけど、どこも合わなくて離れることになります。
あこがれの美しいハクチョウの群れに殺される覚悟で勇気を出して飛びこんでいったら、自分もハクチョウと同じ姿になっていたため無事むかえられます。こうして「みにくいアヒルの子」はかつてない幸せを手に入れたのです。
ここで重要なのは努力で居場所をつかみとったわけではなく、自分の特性に合った場所がもとから存在していて、成鳥になったタイミングでそこを発見したということですね。
それは自分の居場所は必ずどこかにあるということです。外の世界には自分と似た境遇の人がたくさんいるし、気の合う仲間にもきっとめぐり会えます。そこでは自分が優れているとか劣っているという概念は関係ありません。
逆にいえば生まれたところや今いるところが自分の居場所だとはかぎらないということでもあります。いくら家族だとはいっても合わないなら距離をおく必要があります。
ただ、ほかのアヒルたちが、この自分を仲間に入れてくれさえすれば、それだけでどんなにうれしいかもしれないのです。ーーああ、なんてかわいそうな、みにくいアヒルの子でしょう!
この文章にもあるように周りが受け入れてくれれば、わざわざコミュニティを転々としなくても済んだというのもまた事実です。それは「みにくいアヒルの子」自身にも言えることで、自分の特性やハクチョウのことを理解していれば、ここまで行く場所に迷うことはなかったでしょう。“無茶を言うなよ”という話かもしれませんが、そのためにはやはり教育が大事だということですね。