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「ほんらいの自分」とは?

おはようございます。

本日のお題は、「ほんらいの自分」とは?について。

キレイ 光 太陽 雲 空

ある意味高尚なテーマで、
人生ずっと追いつづけるテーマなのかもしれませんが、

でも、そもそも「ほんらいの自分」って、
どんな状態のことをいうのでしょうか?

どういう状態をもって、
「ほんらいの自分」を生きているといえるのでしょうか?


これは主観ですが、
また「ほんらいの自分」を探しつづけた身だからこそ言えるのですが、

「ほんらいの自分」を探す前に、そもそもの言葉の定義、

「ほんらいの自分」とは、そもそもどういう意味?

何をもって、「ほんらいの自分」といえるのか?

を見つめてみることも、とても大切。


ここの定義があいまいで、またあいまいのまま

「ほんらいの自分」を探す旅に出ても、

最初のスタート(種)があいまいだから、ずっとゴールもあいまいなまま…

雲がずっと分厚いままで、ただただ同じ地点(スタート位置)を

ぐるぐる、旋回しつづけるだけになりやすいのですね。

(…これは本当に、自身の経験からいえることです;)


でも、そうではなくて。

本当に「ほんらいの自分」を生きはじめるのならば、

この「ほんらいの自分」という言葉への定義が、まずおのずと

しっかりしてくるもの。

他の誰でもない、ほかの誰とも違う答えでいいから、

いやむしろ、誰とも違う答えの方がいいから

自分なりの、「ほんらいの自分とは?」のアンサーを見つめてみること。

静かに、大事なことだと感じています。

太陽 キレイ。。

今日は、私自身のアンサーを述べることは、書き控えて。

その答えさえも、「枠」になるかもしれないのなら

ぐっと書くことをガマンして。


ぜひ、お一人おひとりご自身なりの、

「ほんらいの自分」とは?の定義 を洗い出されてみてくださいね。


意外と、「他の誰か(のように)」になろうとしていたり、

「なにかが増えれば」「~になれたら」と、外からの評価によって

得られるもので、「ほんらいの自分」が成り立つ

という定義を無意識にもっていたりするもの。


ほんとうは、私自身のアンサーもとても書きたいのですが、

あえて、日を置いて… またどこかのタイミングで

 “ふっ” と綴れたらです。


誰かのアンサーが、なにかお役に立てるのかもしれない…という気持ちと。

それが逆に、その人自身のもつ無限の可能性(アンサー)を阻害するものに

なってはいけないという思いから、

今日は思いきって“問い”だけ投げかけて。

続きはもしよろしければ、お一人おひとりの胸の中の“花”

ことばで語り続けられてみてくださいね。


もしそれが「正解」なら、パッとこころが華やぐからスグわかるでしょう♪

カラフル2018.9ハーブ園 ケイトウ

どうぞ、ご自分のなかでの対話もときに大切に、

その“習慣”が、また自分を「ほんらいの自分」に近づけることも

感覚的に知っているから…

よかったら、このシリーズもときどき楽しんでいただければ幸いです。

では、長くなりましたが、

今回はあえて「問い」だけですが、答えはきっとすでにあることを信じて

お読みくださり、ありがとうございます♪


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