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泥のなかで光れるピュアさ

きれいな環境で
きれいな服をきて
ふんわり微笑んでいられるピュアさ

よりも

泥んこの環境で
汚れた身体と衣装で
激しく叫べるピュアさ、純粋さというのがある

“ひかり”がある


こちらは、前者と違ってごまかしがきかない。

一見、わかりにくいけれど
わたしは、こちらの方に本物のピュアさや光、癒しや美しさも感じます。


キラキラ よりも 泥んこ

そこでこそ光れる、闇があるからこそ輝ける

蓮の花のように。

いったいどれだけの人が、そこに本物のピュアさを見つけ出せるのだろう…

けして「キラキラ」「ふわふわ」の中じゃないと思います、本物の純真さは。

言葉使い(表面)も、ほんとうはそこに関係ない。


奥から煮えたぎるもの…  そんな

ピュアさは絶対武器になる


そして、そのための栄養はいたるところに。

輝く鉱石(ダイヤも水晶も)はみな、荒れた大地から生まれるもの。

すべてを糧に変える力があれれば大丈夫。


でも、発酵しすぎたよけいな栄養は、取捨選択して。

なんでもかんでも、引き受けてしまえる受容力のひろい器の人には、それも引き寄せてしまうことがあるけれど

「それ以上は、いらない」と潔く線引きして

その課題は、その人自身にそっと返していける強さも必要。


だから、ますます耀いていく。

自分まで腐敗しないために、できることはたくさんある。

そしてそのピュアさを、本当にわかってくれる人を大切に。

もちろん、世の中数や数字、結果が大切なときもあるけれど
理不尽でも、大切にしないといけないときもあるけれど

それでも、自分のピュアさを誇りに生きる人をきっと人は応援する。

わたしは、そんな人でもありたい。


大勢・数・結果を生きなきゃの人は、きっとよくわかっている

表面(いいとき)だけなのか、そうでないときもなのか。

その眼光も、力に変えて。

わたしはわたしの宝石を磨いていく。

一度きりの人生、自分のエネルギー100%で生きれた、生き切ったといえるために。

今日、いま出来る目の前のことを淡々と。

結局、「自分を生きる」って、方法がこれしかないのだから。




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