人は当たり前になると発信しなくなる
「そんなこと、書いたって…」
「別に、大したことでは」と
人はどんどん「自分にとっては当たり前なこと」ほど発信しなくなる。
でも、人のほんとうの強みや智慧って
そんなところにほど隠されていて。
だから、まずはどんなことでも素直に自己表現することから
自分だけの種を、育てていく。
見つけていく。
でも、感情のままばかりに書きすぎると
何が、自分にとって「大切な当たり前」なのか
わからなくなってくる。
だから、気に留めていたいのは
「それは、百年後でも石に綴って、残していきたいメッセージか」。
すこしだけ、視点を未来に向けると
「あれ?明日わたし、生きてるのかな?」つい当たり前の視点にも気づけて
なんとなく、そこから新たに残したいメッセージも生まれていく。
自分にとっての価値ある当たり前は、ほかの人の目にふれてこそ見えてくるものだから
自分一人だけでは見つけられないものだから
わたしたちは、そこに出合いたくて、きっと今日も筆を綴り、また誰かと出会い
時にぶつかったりしながら
自分にとっての、そして誰かにとってのgiftを見つけていく。
だから誰かに対して、
「こんないいところあるよ」「こんな風に感じたよ」
「こんなところももっと知りたいな」伝えていくのは
なによりその人への愛でもあり、その人だからこそ広がる愛の循環にも役立っていけるはず。
だから、わたしはコメントも大切にする。
***
4月も最初の方だったかな?
定期マガジンばかり更新すると、コメント制限がかかるので考えていくと
書いたと思うのですが、
たぶんわたしは、たとえ毎日書けても、記事を連発するより
そこは調整しながら、やはりお人の顔が感じられる世界で生きたい。
わたしは、欲張り…
なのかもしれませんが、「お人を感じる」って、世の中当たり前ではない習慣なのでしょうか。
それとも、みんな当たり前にしていること…?
大御所さんは、どうなのかな
「発信できたらよし」「お金になったらよし」なのかな…
当たり前の基準って、人それぞれ違うもので
どこにも正解がないからこそ、今日はなんとなくわたしにとっての当たり前を書いてみました。
たぶん、感じようとしなければもっともっと乱発も連発もできるはず。
そして、たとえばアクセス数が1億、フォロワーさん1憶、収入が1憶になったら
「それだけ」で嬉しいのでしょうか…
いえ、もちろん素直にうれしいでしょうが笑
なんでしょう…
大切な “なにか” を忘れないためにも、見失わないためにも
今日はそのまま書き綴らせていただきました。
人は、当たり前になると発信しなくなる。
「今日、歯を磨きました!」とは誰も書かないように…
ほんとうに当たり前になってくるほど、書かなくなることがあるので
そこもお互い、大切にしていきたいですよね。
誰にとっても、「その人だけの当たり前」があるのだとしたら
そうして、自分やお互いの当たり前をあらためて「受けとめる」「受けとめ合う」ことも
大きな愛で、それが結局多様性に満ちた、一人ひとりの個性や幸せを尊重しあえる
平和世界にもつながっていく、と感じています。
ここから先は
書く軸を定める文薬-ふみぐすり-(読むセッション)
書く軸を定めていきたい時の「読むセッション」です。 読むと、自然と「真ん中」に還っていける… 日々のプロセスから生まれる、飾らないことば…
ご厚意に感謝いたします!