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旅とか温泉とか食とか

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温泉や食、何となくの記録として・・・。温泉は近くばかりだけど、ほぼ毎月出かけてる。自分で気に入らないと書きたくない。今はニャンコふたりが育ち盛りなので、1泊しかできない。
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#温泉

穴原温泉 東秀館

「群馬県でさあ~、お薦めの温泉はどこ。好きな旅館は」 こういう質問を真面目に聞かれると困ってしまう。一応つい最近まで日本温泉地域学会の会員として、研究発表会や源泉井の見学、温泉旅館に先生方と泊まったりしていた。それぞれに歴史があり、効能の違いや、宿を守り続けてきた人達の心意気など、知れば知るほど甲乙付けがたいものがある。 しかも私、温泉ソムリエでもあり温泉分析書マスターの★温泉ソムリエマスターでもある・・・、ほとんど名前だけ。その他、第1回温泉名人認定試験の合格者でもあり

しおり山

昨日の晩ご飯を食べた後に、docomoオンラインショップでGooglePixel8を注文した。2日には着くということで、SuicaやWAON、その他のカード情報の引き継ぎを始めたが、しだいに目がよく見えなくなってしまった。しかもデータの引き継ぎも面倒で・・・。 YouTubeで調べたら、逆に解らなくなった。我慢できずに寝たら、久し振りの爆睡。目が覚めたら既に6時、よく寝た。しかも睡眠レベルは80とは、普段は70くらいで途中覚醒も多く、疲労感があったのに。 熟睡はできたが、

混浴風呂を思い出し・・・

保護ネコを引き取ってから、ほとんど旅行に行かなくなった。旅行といっても、ほんの近くの温泉宿だが。 行きたい温泉があるが、これが混浴なので実に困る。下心などないが、少しは有るかもしれないが、湯が透明では目のやり場に困るものだ。俗に「ワニ」という、女性の裸が目的で来てる、日頃から余程モテない人がいる。温泉文化を愛する者としては、こういう連中を最も嫌う。混浴も大事な温泉文化の一つだが、湯治とはかけ離れた目的で来られては、その伝統文化の継承を断ち切ることにもなりかねない。休日前後の

沢渡温泉の街中華

真夜中に目が覚めてしまった。夕べは寝付かれず、軽いスナックコーン菓子を少しなら大丈夫だろうと、けっきょく一袋食べてしまった。そしてまさに真夜中に、喉まで上がってきた。同じ事を何度も繰り返してしまう。 寝付かれなくなり、何気なくnoteを記事を読み、沢渡温泉の上州軒を思い出した。 旅というと温泉地の町中華、昭和30年代の町中華の味を思い出してしまう。「街」ではなく「町」、寂れた小さな温泉地の中の、風に吹かれた暖簾に歴史を感じる、そういう町中華が好きだ。 若山牧水が沢渡温泉

猿ヶ京温泉

かつての最盛期には56軒の湯宿があったが、バブル以降、失われた20年などと言われ続けた期間に、16軒まで減ってしまって、寂しい限りだ。 猿ヶ京温泉の歴史 猿ヶ京温泉の開湯は、元和元年(1615年)頃と言われてる。正式に関所が設けられたのが、寛永8年(1631年)だから、重要な関所としての位置づけもあり、その頃の発見と思われる。 三国街道から少し離れた、急峻な赤谷川を挟んで、笹ノ湯温泉と湯島(ゆじま)温泉とがあった。笹の湯(生井林温泉:相生橋辺りの湖底)は温度は低く、裏手

旅の目的

 私は温泉に関する幾つかの資格を持ち、温泉地域に関する研究会の会員にも参加してる。周りの人達からは、よほど「温泉旅行」が好きだと思われているようだ。  一般的な温泉の資格は、講習会に出席すれば簡単に取得できる。内容は温泉成分分析書の読み方、泉質による効能、安全な入浴法などだ。受講者は温泉旅行の好きな人が多く、幾つかの同様な講習会に参加して、次第に友人になる。話題が同じだから、当然のようにグループができ、温泉施設を利用してのオフ会も行うようになる。  本音を言えば、私は旅行

まるほん旅館|沢渡温泉

 沢渡温泉は強酸性の草津温泉で荒れた肌を治す「仕上げ湯」ともいわれてきたが、まさに「一浴玉の肌」と称される沢渡温泉、源泉掛け流しの新鮮な湯は肌に優しい。その源泉井の横に立つまるほん旅館に泊まってきた。沢渡温泉は、せめて2泊はしたい。3回ほど宿泊したが、ここの湯小屋風の内風呂は、坪湯の再現のように趣が感じられる。  まるほん旅館というと、温泉好きの間では有名な話がある。今のご主人は元銀行マンで、先代が高齢で後継者もなく廃業を考えたとき、江戸時代から400年続くまるほん旅館を絶

温泉の資格

  温泉に関わりのある「資格」には、どの様なものがあるのだろうか。実際に宿泊客を泊める施設や、日帰りの場合だけでも建物の施設管理や温浴設備の管理に関して、更に食の提供も含めると食品衛生管理等の様々な資格や技術が必要なようだ。それにプラスして、日本独特の「おもてなし」のソフト面での教育も必要になる。ここではあくまでも、温泉と宿と食を趣味とする一個人が、温泉を楽しむためと、温泉施設とスタッフへの視点と、更には人に紹介する場合の安心安全を考える知識としての、そんな資格や講習会につい

沢渡温泉 龍鳴館

 沢渡温泉というと「草津の治し湯」や「一浴玉の肌」とか、何となく草津温泉の添え物的に思われがちだが、昔からここを愛する文人墨客も多い。もちろん熱心なリピーターも多い。一般的な温泉の効能の他、神経痛・リュウマチ・運動麻痺・慢性消化器病・肥満症・糖尿病・婦人病など。冠動脈狭窄や肥満症・糖尿病・慢性制腎臓病の治療中の自分には合っていたようだ。  その泉質を利用して、沢渡温泉には「リハビリテーションを専門とする大きな病院がある。コンビニも無く商店も少なく、何も無いような温泉街だが、

源頼朝・木曽義仲と草津温泉

NKHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を楽しみに見てる。意外と群馬には源頼朝や木曽義仲との伝説もあるが、単なる伝説なので出てこないけど・・・、面白い話は多い。 草津温泉の湯本氏は木曽義仲の子孫か 草津温泉の開湯伝説の中に、建久四年の年に源頼朝が巻き狩りに来て、湯の湧き出る横の石に腰掛けた。それを御座と名付け、頼朝が初めて入浴したので「御座の湯」という、とある。「御座の湯」は後に「白旗の湯」と改称され、石の祠がまつられた。 この時に案内をしたのが、土豪細野御殿介幸久で、後に

草津温泉と栗生楽泉園・重監房

これは草津温泉の時間湯と、ハンセン病患者の栗生楽泉園、およびベルツ博士についての下書き。詳細資料は、後日の補足とする。まとめ方は未定。 草津温泉の大火 草津温泉は、幕末頃までは各地の大名や湯治遊山の客で、大いに繁盛していた。幕末の政情不安の頃から次第に客足は減り、衰退をはじめた。とはいえ、慶応元年(1865)頃には「時間湯」という独特な入浴法は出来ていたとの記録もあり、各地から病気療養の客は絶えなかったようだ。 この頃の湯畑周辺は、草津温泉草創期からの支配層(大家)、特

昔の話:旅先で聞いた端唄

「縁かいな」父の得意な、好きな端唄だった。むかし裏路地に、国際劇場とかいった映画館があり、その前に小さな居酒屋があった。女将は元神楽坂芸者だったとかで、若い頃を神楽坂で過ごしていた父とは気が合っていた。客がいないときには、女将が三味線を弾き、父が「縁かいな」とか「槍さび」などを唄っていた。「槍さび」だけは聞いてても意味が何となく分かり、良い曲だと思った。女将は「槍さび」は難しいと言っていたが。 伊豆に旅行したときに、芸者さんをよんだ。一人は若くて綺麗な人だったが、全く面白く

旅先での年寄りの食事

旅の楽しみの一つに、その土地ならではの食事や宿の夕飯がある。ところがある程度の年齢になると、この食事にも限度が出てしまう。体重は・・・90kgを超えてるが、肥満だから大食ではない。 先月の川治温泉、一柳閣本館はビュッフェスタイルなので助かった。ビール2杯とトレーに乗せただけで充分。自分よりも高齢者、たぶん、なのにトレーに山のように乗せて・・・あの食欲が羨ましい。 若い人達も、山に乗せて何度も往復してる。見てるだけで満腹になれそう。健康は良いなあ。 5月下旬に行った渋温泉

伊香保温泉で遇った人

久し振りに伊香保温泉に来た。 石段の少し上った所で、10年近く前に、同じ宿に泊まった女性の姿を見た。あの時は母娘二人と思われる二人連れで、表情に哀しさが見えていた。 伊香保温泉は、むかしは年に5回や6回は来ていたが、最近は石段がきつく感じられて、かなりご無沙汰気味になってた。 石段を避けて、裏道をノンビリと歩くのが良い。観光で来られてる人達は、石段が有名なので、はやり石段は混んでる。 余り知られていない、無料駐車場があり、そこから伊香保の源泉に入った。 ちょうど良い