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昔の話:旅先で聞いた端唄

「縁かいな」父の得意な、好きな端唄だった。むかし裏路地に、国際劇場とかいった映画館があり、その前に小さな居酒屋があった。女将は元神楽坂芸者だったとかで、若い頃を神楽坂で過ごしていた父とは気が合っていた。客がいないときには、女将が三味線を弾き、父が「縁かいな」とか「槍さび」などを唄っていた。「槍さび」だけは聞いてても意味が何となく分かり、良い曲だと思った。女将は「槍さび」は難しいと言っていたが。

槍はさびても 名はさびぬ
昔ながらの 落としざし
エ、 サァサ ヨイヨイヨイヨイ
エー ヨンヤサ

槍さび

伊豆に旅行したときに、芸者さんをよんだ。一人は若くて綺麗な人だったが、全く面白くもなかった。「槍さび」を聞きたいとリクエストした。部屋の隅で静かに三味線を抱えていた年配の芸者さんが、「わたくしが」と前ににじり寄り、コクリと頭を下げて三味線を鳴らし始めた。声はひどく荒れていたが、妙に旅情を掻きたてられる、というよりも、何となく儚い哀しさを感じ、酒が回っていたのか思わず涙ぐんでしまった。

かなり年配の地方(じかた)さんは、お師匠さんだったかもしれない。「縁かいな」もリクエストしたら、続けて数曲、雪の竹とか屋台船、長唄なども唄った。こういう端唄や長唄を肴に、少し昔の土地の話などを聞くのは、最高の旅の思い出になる。この歳になってもフッと思い出す、消えることの無い大切な人生の記録の一つにも成ってる。

今はもう、コンパニオンの時代になり、こういう情緒も遠い昔になってしまったのだろう。この歳になって、味わい深く聞けるのに・・・。


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