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源頼朝・木曽義仲と草津温泉

NKHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を楽しみに見てる。意外と群馬には源頼朝や木曽義仲との伝説もあるが、単なる伝説なので出てこないけど・・・、面白い話は多い。

草津温泉の湯本氏は木曽義仲の子孫か

草津温泉の開湯伝説の中に、建久四年の年に源頼朝が巻き狩りに来て、湯の湧き出る横の石に腰掛けた。それを御座と名付け、頼朝が初めて入浴したので「御座の湯」という、とある。「御座の湯」は後に「白旗の湯」と改称され、石の祠がまつられた。

この時に案内をしたのが、土豪細野御殿介幸久で、後に草津の湯守としてこの地を与えられ、湯本氏を名乗るようになった。この細野幸久は木曽義仲の胤を宿した娘と共にこの地に隠れ住んでいた。その立ち居振る舞いから源頼朝から出自を問われ、元は木曽義仲の御家人であり、娘の子は義仲の子であると聞かされた。故にこの地一帯を与えられ、以後草津を領地として今日まで栄えた。

というのは開湯伝説の天下に知れた人物の発見という、英雄開湯の伝説。建久四年(1193年)に草津温泉周辺で巻き狩りを行い、川原湯温泉や花敷温泉を発見したと言われてる。この年、建久四年5月には、富士の裾野で巻き狩りが行われ、そこで起きた「曾我兄弟の仇討ち」は『吾妻鏡』に記載がある。その時に傷を受けた一人に海野幸久がいて、湯本氏は海野幸久の子孫である。

木曽義仲の嫡男義高を頼朝に人質として出す時に、木曽義仲の御家人二名、海野幸久・望月重隆を側付きに付けた。木曽義仲が討たれた後、義高を逃すために身代わりになったのが海野幸久で、身をとして主人を守る姿勢に感銘し、頼朝に請われ鎌倉殿の御家人になった。海野幸久の子孫が湯本氏で、元は信濃国土豪「滋野三家」の滋野氏・海野氏・望月氏のうち海野氏の子孫である。

戦国時代に湯本氏・鎌原氏・羽尾氏が国衆として吾妻郡一帯を領していた。湯本氏の領地に草津谷があったと記録にある。岩櫃城城主斉藤氏の家人であったが、斉藤氏が真田氏に滅ばされると真田氏の家人になり、吾妻一帯を治めた。真田氏の主家武田氏の保養所として草津温泉が栄えると、これを仕切ったのが湯本氏とされてる。

木曽義仲と群馬の関係

義仲の父源頼賢が兄の源義朝と対立して大蔵合戦で義平に打たれた。源頼賢の子駒王丸を打つように畠山・斉藤に命が出された。その時に斉藤実盛は命に従わず、衣の中に隠して駒王丸(義仲)2歳を助け、信濃国木曽に逃した。一部伝説では、中之条町世立に義賢の家人と落ち延び、7歳になって信濃に移ったとされてる。やがてこの地より世を立てると言い、残された家人はこの地を世立と呼ぶようになったと言われてる。

木曽義仲が近江国粟津で、源範頼・源義経に討たれた。生き残った家来は、草津の今の「地蔵の湯」の前で武具を脱ぎ、守り本尊であった地蔵菩薩を奉納し、有縁の地「世立」に逃れて土着した。

木曽義仲守り本尊を奉納した地蔵堂の前に湧出したのが、少し白濁した高温の「地蔵の湯源泉」であった。50度近い源泉温度のために、湯もみをして46度くらいまで下げ、湯もみにより肌の当たりも軟らかくなった。湯もみの運動で入浴前の血流を高め、湯長の管理の下の入浴で、事故も起こらなかった。江戸後期より、令和3年の3月まで「時間湯」として続き、日本の温泉文化を代表する入浴法でもあった。

かつての地蔵の湯、高温のために湯もみをして温度を下げた。

「地蔵の湯」は江戸後期より「時間湯」として、独特な入浴法で様々な病気やケガの治療を治し、病気治療の湯治として天下に「草津温泉」の名を広めた。草津温泉というと大きな湯畑が有名で、湯畑周辺は江戸時代になって坪湯や湯宿で栄えた。地蔵の湯は時間湯で高温湯の入浴法で効能が豊かであったが、町長の意向により温度は42度以下になり、平成3年3月をもって閉鎖改築され、歴史ある「時間湯」は完全に無くなってしまった。

義仲を助けた斎藤実盛

斎藤実盛は平家との戦で敗れたが、高潔な人柄と武勇をかわれ、平家の御家人に請われて、永井庄を管理することになった。埼玉県妻沼から群馬県下仁田辺りまでを領地とした。

斎藤実盛、平家軍としてかつて命を助けた木曽義仲と戦うことになった。加賀篠原の合戦において、73歳という高齢で白髪となった実盛は、墨をすって髪を黒く染めた。その戦いぶりは見事であったが、平家方は負けて遁走し、実盛は討ち取られた。武将の首を洗ったところ、墨が落ちて白髪となり、木曽義仲はその首を見て、幼い頃に命を助けられた斎藤実盛であるとわかり、号泣したと言われてる。

実盛を手厚く葬ったのが「実盛塚」で、二人の状況を後の世阿弥作の謡曲「実盛」としてひろまった。今も下仁田には、斉藤氏一族の墓所が残ってる。この斉藤氏から、領地の名から永井氏・長井氏を名乗り、全国に散ったそうだ。

草津温泉に関しては、他にも多くの話が伝わってる。湯本氏に関しての話として、湯畑を見下ろす位置にある光泉寺は、湯本氏が管理して、上杉税に備えて僧兵が千名くらい配置されていたそうだ。

群馬県は豊富な温泉と共に、伝説や民話が面白いところでもある。今後も調べてみたい。

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