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沢渡温泉の街中華

真夜中に目が覚めてしまった。夕べは寝付かれず、軽いスナックコーン菓子を少しなら大丈夫だろうと、けっきょく一袋食べてしまった。そしてまさに真夜中に、喉まで上がってきた。同じ事を何度も繰り返してしまう。

寝付かれなくなり、何気なくnoteを記事を読み、沢渡温泉の上州軒を思い出した。

旅というと温泉地の町中華、昭和30年代の町中華の味を思い出してしまう。「街」ではなく「町」、寂れた小さな温泉地の中の、風に吹かれた暖簾に歴史を感じる、そういう町中華が好きだ。

明治から大正にかけての沢渡温泉全景図

若山牧水が沢渡温泉の龍鳴館によって食事をしたと書かれていた。何となく文章からは寂しい温泉地に感じられたが、この沢渡温泉全景図を見た時には、かなりの繁盛ぶりだったのが解る。

沢渡の名が文献として始めて出たのが、沼田藩真田氏に仕えた加沢平次左衛門が書いたとされる『上野国沼田領品々覚書』(天和元年、1681年)の中の、「出湯之事」の中に澤渡と記されている。

龍鳴館男湯、源頼朝の腰掛け石

川原湯温泉と共に源頼朝が温泉を巡ったとか、発見したという伝説が多いが、建久4年は鎌倉幕府も安泰ではなく、武力の誇示のために富士山麓で巻き狩りをした。同じ時期に上州の湯巡りは・・・。たぶん木曽義仲残党の落人狩りではないかと思うのだが、伝説を信じて湯に浸かるのも良いモノだが。

江戸時代、草津温泉全景図

江戸時代になると世の中が安定し、草津温泉の名が全国に知れ渡るようになる。湯治に訪れた人達が、強酸性で荒れた皮膚を落ち着かせるために、pH8.5の軟らかい温泉に浸かった。

沢渡温泉成分分析表

沢渡温泉の泉質は、カルシウム・ナトリウムー硫酸塩・塩化物温泉、pH8.8、残留物質1.09g/kg、低張性弱アルカリ性高温泉「一浴玉の肌」と言われている。効能は、きりきず・末梢循環障害・冷え性・うつ状態・皮膚乾燥症など。無色透明の硫酸塩泉、というよりも、源泉掛け流しの新鮮な単純泉に近く、肌の当たりが柔らかくて、県内の温泉では好きな温泉地の一つだ。

人家も多く、「草津の直し湯」としてずいぶん賑わったようだ。残念な事に、昭和20年の大火で温泉地のほとんどが燃え尽くされてしまった。ほぼ何も無くなってしまった状態で、湯宿はわずか二軒になり、復興には相当な時間が掛かったという。

共同湯の後ろ、龍鳴館とまるほん旅館の間に源泉井

昭和34年、温泉ボーリングが成功し、旅館が13軒になった。温泉と静かな自然を活かして「群馬県医師会温泉病院」が誘致され、平成9年には病院の横に「老人福祉施設ゆうあい荘」が開業された。

温泉病院

13軒の宿のうち、現在は3軒が営業してるそうだ。この温泉地では湯口権は13軒が持ち、他人には売却しないという取り決めがあると聞いた(確かではないが)。廃業すると、そのまま無くなってしまうのか。

晩釣公園
晩釣公園
晩釣公園

晩釣公園には広い駐車場がある。少し早い時間について、川の近くまで下り、この川の流れをボーッと見てるのが好きだ。

晩釣せせらぎ公園から、橋を渡って100mくらい坂道を歩くと、右手に中華料理上州軒がある。道を挟んで反対側に駐車場もあるが、誰も歩いていないこの道をゆっくりと歩いて店に入る。

いつも定番のラーメンと餃子だけしか頼まないのだが、ここの味が懐かしい子どもの頃に食べた味を思い出す。奇をてらったラーメンではなく、ナルトとシナチクとチャーシューとほうれん草だけの、あの醤油味のラーメンだ。

まるほん旅館
まるほん旅館
まるほん旅館
龍鳴館
龍鳴館

湯の中にティッシュペーパーの様なものがたくさん沈んでるが、これが沢渡温泉の湯の華。湯温は龍鳴館の方が少し高くて何となく好きだ。まるほん旅館の湯小屋は、渡り廊下を歩いて、階段を下りた所に二つある。この湯小屋は混浴になってるが、時間帯で女性専用になる。まるほん旅館の湯の下は、今は珍しい昭和村の石で、水に浸かると綺麗な青い色になる。

共同湯
澤渡神社
澤渡神社
澤渡神社

昼間はほとんど人通りが無い。この温泉はせめて2泊はしたい。せいぜい300m程度の街の中を散策したり、温泉の裏手にある澤渡神社を歩いたり、少し熱めの共同湯に入ったりして過ごす。中屋饅頭店が開いてれば、キビ大福などを食べながら歩くのも良い。

お昼は町中華の上州軒で、今度は唐揚げと餃子でビールを飲み、仕上げは塩味の五目ラーメンにしようかな。

「沢渡温泉がそれほど好きならさぁ、沢渡温泉でお泊まりデートしない」などと誘われても、温泉と町中華と猫との出逢いは、何と言っても一人旅につきる。一人旅こそ、旅の楽しみ方の中でも最高の贅沢だろう。

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