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饒
2020年5月4日 22:35
贔屓にしているスタジオに、メンテ直後でも、チューニングがどんどんずれていってしまう古いアップライトピアノがある。この曲はそのピアノの一番艶やかな音階を使い、その艶を慈しむようにして描いた。アルバムのための録音の時はさすがにチューニングがあっているピアノを使わざるを得なかったが、それでも、声を重ねたりミックスをする段階で、どうにかあのピアノの、音程が少しだけずれているからこそ、重な
2020年4月27日 21:27
複数の声を重ねる挑戦をしている。ローミッドが豊かな声、ハイが強く生きいきと鮮やかさが伝わる声、愛らしい声、たおやかで深い声、すこし自信がなさそうだけれどやさしい声。同じ歌詞と同じメロディで、これほどまでに表現が異なることに驚く。Day after day...の歌い出しに、そのひとの生き様があらわれる。 わたしの拙い技術で、本当は盛り込まれるべきものがこぼれ落ちてしまっているかも
2020年4月25日 21:32
静かで力強い、一筆書きのような動きのイメージ。後ろで鳴る雨音、季節は秋口で、少し風が涼しさを含んでいる。一人であることの自由。取り返しがつかない、おいてきたものごととの決別。_____雨が降っている。静かだ。一人の人間が、ゆっくりと、立ち上がる。雨音に起こされたように。呼吸で呼応する。私たちはどうして、ひとりだ。その事実から逃れることはできない。四肢を伸ばす。
2020年4月25日 22:11
鏡と森。彩度の低い、みずみずしさ。伝統への反発が、18世紀後半に悪魔や妖精が自在に登場する幻想的な舞台舞踏を生んだ。資本主義革命が現代にも続くバレエの潮流の基礎を作った。軽やかな動きは、それまでの時代の前提となる「地」に足をつけることへの拒絶ともいえる。だが全てを投げうって現実に争う選択は果たして人生で何度、許されているのだろう。これは祈りの歌だ。祈りの歌であるにもかかわら
2020年4月12日 00:12
"Singing Reed”は2014年に生まれた。それまでの作曲は常に誰かに編曲をしてもらったり演奏をしてもらっていて、やっと自力で曲をかけるようになってから書いた、2曲目の曲だ。Blais Pascal(1623-1662)の人間は考える葦であるというフレーズにちなみ、私は弱き葦でしかないが歌う葦である、と歌っている。思えばこの曲が創作の原点にあった。今も変わらず、同じことを形
2020年3月6日 02:46
踊れない身体を何十年も、持て余している。 悲哀と諦念と嫉妬が詰まった、血を抜くことすら許されない腐りかけの身体が残念で、すぐにでも手放したいと日々感じている。だから、というわけではないが強烈に身体性そのもの、あるいは身体という表象の可能性に惹かれてperformance theoryを専門に選択した。(と、今となっては思う) 動、の肉体/身体。静、の肉体/身体。 いずれも
2020年2月15日 01:24
Prayer Pianissimo というアルバムを2月にリリースした。2015年に友人が亡くなったときに書いた曲、のリミックスが入っている。この曲については語るべきことが多くあるようでいて、何一つないようで、公にもプライベートにも書き殴らずに、ひっそりとそのままになっていた。わたしのように音楽がまともにできるわけでもない人間が、曲を生みだす過程には、どうしたって物語がある。どうし