ジュテル・レザーの沼田です noteを始めた理由は、社員の記事を見たきっかけで、俺も書き残しておこうという気持ちになり 始めたんだが・・・ ここの所どうも書く意欲が沸かないでいた。 亡き親父の誕生日から書き残している章も、だらだらと その5になってしまった。 この辺で終わりにするべきか… 1年経っちまった(笑) 今日は親父が生きてれば91歳の誕生日... どうしてもグラブレザーのキップ(中牛)を開発した時の事を残したかった。(俺もこの開発には、絡んだから特に思い出深い)
久しぶりの投稿です ジュテルレザーの沼田です 親父の事をnoteに書き出していて、フッと気がついた事がある。 昔の記憶を元にしているのだが、そう言えば親父から直接、身振り手振り革作りを教わった記憶が無い...(^^; 革はこうでなくてはいけないとか、哲学的な事を教わった事は多いが、作業をどうやるこうやると言うのは記憶に無い...^_^; しいて言えば、選別の助手について見て覚えたくらいだ。 親父の弟子(幹部社員)さんに教わった記憶しか無い(笑) どんなに思い出そうとして
ジュテルの沼田です。 今は亡き親父の事を、文章に残しているのも、三回目となった。 今回は、何故 野球グラブ革を作ることになったのか… を、書こうと思っているのだが………………… さて、どう書こうか……………… 俺なりに考えて、控えて書くことにする。 某スポーツメーカーが、野球グラブとは何が一番大事なのか徹底的に研究した。 その結果、『革』と言う答えに達したそうだ。(色んな意見があると思うが、俺は今でもこの答えが正しいと思っている) そこで日本全国のタンナーを回り、そ
(株)ジュテル・レザーの沼田です。 昔を振り返るのを楽しんでます。 毎回、何を書こうか… 考えるのも楽しい。(笑) ひとつのテーマを決めるまでが時間がかかります。 テーマが決まると結構スラスラ出てきます。 学業をしてこなかったので、言葉の使い方や、句読点の使い方が難しいが、自分なりの楽しさを見つけました。(笑) noteの使い方も、色々あるみたいだが、まあ徐々に… さて、この章は前回の親父の話の続きを書こうと思います。 『そんな親父は、何年か革の下積みを経て、全く畑違
今日は 親父が生きているば90歳の誕生日。 昭和5年7月9日生まれ 平成27年1月16日 84歳でこの世を去った。 癌であった... 親父は山形県出身で2人兄弟の次男 昔なのに兄弟が少ない?... これには色々事情がる ここには触れないでおく。 親父が皮革業界に居たから 今の俺達がこの業界で仕事ができる 俺は猛烈に感謝している 今では業界では過去の人になってしまっているが この人の事を知ってい頂きたい …と、この場を借りて書こうと思う。 親父は、沼田にとっては、2代目
45年間 ありがとう‼️ 10章では、 今まで数々の名品を生み出してくれた『三番太鼓』のお話し。 そもそも太鼓(Drum)とは… 皮革と薬剤の水溶液を入れて使う、太鼓型の回転容器。強化プラスチック製のものもあるが、木で作られたものが多い。 製革工程の準備作業やなめし工程、再鞣(さいじゅう)、染色、加脂工程における水場処理、空打ちの際に使用する。 大・中・小があり、各工程において、適切な大きさのものを用いている。 俺がこの『三番太鼓』に出会ったのは、沼田産業時代「2課」と
皆さん こんにちは 9章を書き出したときが、昼間なので この挨拶にしました。 さて、今回は何を書こうか全く決まってなく書き始めてます。 何を書くか少し考えて… 今回は革作りで、『準備工程』という工程があるのですが、その時の経験の話をしましょう。 準備工程(Beamhouse process)とは… 皮をなめす前の準備作業の工程。原皮から、毛、表皮、不要たんぱく質、脂肪などを除去し、皮のコラーゲン繊維をほぐして、皮革特有の性質を高めるために行う作業の総称。 通常、水漬け
皆さん、御機嫌好う! ジュテルの沼田です この「御機嫌好う」という意味を調べたら、 『人に会ったときや別れるときの、(健康を祝し、祈る)あいさつの言葉。』と書かれていた。 一度この挨拶から、入ってみたかった(笑) 上から目線なのか、ちゃんとした挨拶に使えるのか、学問がない俺には不安だったが、今回は思いきって使ってみた(笑) 皆さん、御機嫌好うでございます! は、使い方が変なのか? …………………………………… 日本語は難しい… 学問と言えば、国語、算数、理科、社会とか
5~6章と『俺と革』とは違った話を書いたが、7章では革の話を書きたいと思う noteでタイトルを『俺と革』にして、続き風に書いてしまっているが、実は書けない事も非常に多い。 それが面白いところなのにと考えると複雑になる。(笑) では、革の話にしよう… 当時は、作っていた革の中でも、型押しという革も多かった。 『型押し革というのは、凹凸を刻印した鉄板で加熱、加圧し、革の表面に種々な凹凸模様をつけた革の総称である。』 型押しは 革の傷等、すなわち生きた証を隠すという事
6章も サブタイトル 『爆発音』 この話は俺がまだ、ういういしい小学生の頃の出来事。 俺は当時、工場の事務所の二階に家族で住んでいた。 工場の始まる時間は朝の8時。 「ウウウゥゥーーー!」と、消防車のサイレンの様なサイレンで会社が始まる。結構うるさい音だった… 小学校では、「次の日の時間割りの用意は 前の日にやりなさい」と教わっていたが、俺は当日の朝にやっていた… と言うか、この出来事の時に たまたまなのか、常になのかは 記憶にない。 とにかく ういういしい小学生には違
5章では、グラブ革のキップの誕生の話でと思っていたが、工場見学でしか聞けない話として取っておくことにした 悪しからず(_ _) さて、何の事を書こうか… サブタイトル 『今だから話せる昔話』 昔、あるところに牛の皮を鞣す仕事をしてる不良少年がいた。 少年は仕事が嫌いだが、仕事をすれば真面目に勉強したそうだ。 ある日の事、少年は昼間から遊んでいたのか、仕事を終えて来たのか解らないが、ある所で酒を呑んでいた。 そんな時、一本の電話が鳴った… 少年とは180度違う出来の良
noteの投稿をするときは、下書をひとつ書き上げておいて、次を書くことにしている。 だから、その日の出来事がずれる投稿が多い そんな事は俺しか解らないからどうでも良い事だが…(笑) さて、3章では好きな革をひとつ紹介したが、 この章では野球グラブレザーの事を書こうと思う。 小学生の頃、使っていたプルーやレッドのグラブの革の事は下手すれば、革という事も何も考えて無かったと思う。 現場に入って、初めてグラブレザーを手に触れたのはオレンジ色の厚くて硬い、ずっしりとした匂いの
俺と革 3章ということなんだが、2章までは以外にすらすら書けたが、このタイトルはいつまで続くのかと先を考えると、色んな記憶が甦り整理が付かなくなってしまった… ということで、3章は俺が好きだった革の事を書くことにした。 現在は野球のグラブレザーの仕事が多いが、当時はグラブレザーは5分の1以下だった。 主にメンズ向けの鞄、バッグ用、袋物、ベルト、小物用、軍隊のブーツ用とか…注文がくれば、『やってみよう!』と言ってなんの用途でも作っていたのが、親父のスタイルだった(現在もその
序章と格好つけたタイトルを書いてしまったので、2章とまた格好つけたタイトルにしてしまった 俺が革の仕事をする舞台となった当時の沼田産業は埼玉県草加市にあった。 その頃は草加市も地場産業と言うこともあり相当数のタンナーがあった。 その中でも沼田産業は1200坪くらいあって、従業員40名程の草加では中堅所だった。 俺が入った頃は、親父はまだ専務だった。『鬼の専務』と、あだ名が付いていた事を思い出す… 沼田産業は、一課~四課まで製造工程ごとに部署が別れていた。 俺が一番最初に
昭和42年1月にタンナーの長男として産まれた。そこから俺の人生がスタートするんだが、「俺と革」なんてタイトルつけて、果たしてどれくらい書かないとタイトルにたどり着けないのか…書き出しながら考えている(笑) 産まれた時の記憶は全くない(当たり前か…) とにかく今は 革の中で生きている… 自分が革の仕事に誇りを持てると思ったのは40歳の頃だった… 小学生の頃、家には野球のグラブがゴロゴロあった。 その中でもブルーやレッドのグラブは今でも強烈に覚えている。それが全部美津濃ワ
つぶやきテスト 良いグラブができた❗