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俺と革 11章 その1 親父の革作り

今日は 親父が生きているば90歳の誕生日。
昭和5年7月9日生まれ
平成27年1月16日 84歳でこの世を去った。
癌であった...

親父は山形県出身で2人兄弟の次男
昔なのに兄弟が少ない?... これには色々事情がる ここには触れないでおく。

親父が皮革業界に居たから 今の俺達がこの業界で仕事ができる
俺は猛烈に感謝している

今では業界では過去の人になってしまっているが この人の事を知ってい頂きたい …と、この場を借りて書こうと思う。

親父は、沼田にとっては、2代目になるが、実は婿養子だった。

親父から直接聞いた話ではないが、子供の頃は生まれた環境の事もあり、相当苦労したと聞いている。
その都度兄貴(俺の叔父貴)と乗り越えた時代もあったらしい。
悔しさから猛烈に勉強して弁護士を目指し、中央大学の法学部を卒業している。

弁護士にはなれなかったのか、ならなかったのかは聞いていない。
色々な仕事はしたそうだが、皮革の世界になる前は、衆議院の事務局に務めていた。
当時の名刺を見ると、『衆議院事務局職員組合執行委員 文化部長』という肩書きだった。

田中角栄さんから 『加藤君(旧姓)』と呼ばれた事もあったと、自慢げに語っていたのを思い出す。
とにかく、政治は好きだった(笑) 地元の選挙になれば常に応援で家に居なかった...(笑)

護国寺に『天風会』という財団法人がある。(この会の事はいつか機会があれば書こうと思う)
親父とお袋はこの会で知り合った。
ここでどの様に、恋に落ちたのかは触れないでおく(笑)

惚れた人の為に、自分の人生を捨てて、何も知らない皮革の世界に飛び込んだ。
鉛筆しか持った事が無いような人が、重たい皮を持つなんて仕事に...
尚且つ、皮革の大学に2年間勉強してまでも。
まるでドラマのような話だと思う。
カッコよすぎる。俺には真似出来ない。

お袋から、入社した時の話を聞いたことがある。
今より機械や道具もない時代、厚い皮の作業。家では手が痛い痛いと言っていたそうだ。(俺も経験があるから想像が着く)
苦労したのが、目に浮かぶ...

そんな親父は、何年か革の下積みを経て、全く畑違いの所から革の世界に来たせいなのか、それは解らないがクローム鞣しを取り入れ、スポーツの革を作るようになったという...

まだまだ、親父の話は先が長いので 今回はこの辺で...

つづく

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