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俺と革 11章 その5親父の開発

ジュテル・レザーの沼田です

noteを始めた理由は、社員の記事を見たきっかけで、俺も書き残しておこうという気持ちになり 始めたんだが・・・ ここの所どうも書く意欲が沸かないでいた。

亡き親父の誕生日から書き残している章も、だらだらと その5になってしまった。 この辺で終わりにするべきか… 1年経っちまった(笑) 今日は親父が生きてれば91歳の誕生日...
どうしてもグラブレザーのキップ(中牛)を開発した時の事を残したかった。(俺もこの開発には、絡んだから特に思い出深い)

1988年頃に、野球グラブでは【業界世界初】○社より『キップ(中牛)』の革で作ったグラブが発売された。 
(参考:キップ 生後6か月~2年程度の中牛皮) 
当時、予想を上回る爆発的な商品となったグラブだった。
(現在キップのグラブは当たり前になっている)

前の章でも書いているが、グラブの革と言えばアメリカのステアハイドと言う原皮がほとんどだった(和牛も1部有り)
そんな中、野球グラブレザーでは唯一の取引先○社より トップブランドを作るに当たり、今までのグラブよりランク上の物を作りたいと言う事だった。
グラブの型もそうだが、まずは革からという事で親父に相談があった。

革の世界では、ステアよりランク上(この言い方が正解かは不明だが…用途にも寄るし…)と言うと、若くてキメが細かく傷が少ないキップとなる(その上がカーフ)。

○社よりキップにしたい と要望があったのか、相談され親父がキップを薦めたのか定かではないが 、キップに的が絞られた。

親父、○社のこんなやり取りを覚えている…
最初はアメリカのキップをと考えていたらしいが、薄くて弱くてグラブには向いていないと判断した。
親父が当時仕入先の原皮商に相談したら、オランダ ダッチビルのキップでオーバーウエイト原皮をと紹介され(2~3度違う種類もあった記憶がある)、本格的にダッチキップの開発に入った。

俺自身キップと言えば丸革(1頭分)のサイズしか知らなかったが、そこそこ厚みがあり可愛らしい小ぶりの半裁の革は初めてだった。

その頃親父から聞いた言葉をよく思い出す… 『キップはステアに比べると、成長段階なので弱い。これをステア以上に強くするのが難しい』と。
親父の凄さは、薬品の知識が頭の中に辞書のようにあるなか解らないが、オリジナルの処方を作り上げる。それも数分でだ。(実際この時にスラスラ処方を書き出した その1発で処方は完璧)
その処方を元に、俺達現場の人間が実際に作りに入った。
親父は監修のみ。


俺も、実際に試験タイコでコルクだったかオレンジだったかを、染めた記憶がある。よく出来たと褒められた記憶もある(笑)

開発期間は忘れたが、革の強度もステアを超え要望通りの革が出来上がった。
グラブもでき、パンフレットもできて、予想を10倍になるほどの反響だった。

○社のキップ神話の始まりであった。

各プロの皆が知恵を搾ってひとつの物を作り上げる姿勢。俺にとって、これが素晴らしい事だと言う経験の1ページとなった。
こう言う物作りを社員にも、もっともっと経験させたい。

★画像の右レッドの革は 1988年当時のキップ。形見として保管してある 工場見学時にお見せしています

これにて11章は終わりとします

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