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俺と革 11章 その4 野球グラブレザー奮闘編

久しぶりの投稿です

ジュテルレザーの沼田です
親父の事をnoteに書き出していて、フッと気がついた事がある。
昔の記憶を元にしているのだが、そう言えば親父から直接、身振り手振り革作りを教わった記憶が無い...(^^;
革はこうでなくてはいけないとか、哲学的な事を教わった事は多いが、作業をどうやるこうやると言うのは記憶に無い...^_^;
しいて言えば、選別の助手について見て覚えたくらいだ。
親父の弟子(幹部社員)さんに教わった記憶しか無い(笑) 
どんなに思い出そうとしても、ひとつも出てこない...ワンシーン位あっても良いものだが...
俺と親父の絡みの思い出は、怒られてるか、言い争っているかしか出てこない...困ったものだ(笑)

さて、この章では引き続き前回同様グラブレザーの事を『書き残したい』

前章ではグラブレザーを作るきっかけを書いた。
この章ではグラブレザー作りの奮闘について書こうと思う

俺も思っている事だが、親父もつくづく話していた...
『色んな革を作ってきたが、グラブ用革を作るのが1番難しい』と。

今も昔も我社では、お客様の要望があれば用途を選ばず何でも作ってきた。
昔からクローム鞣し、タンニン鞣しの両方をやっている。(現在は違うかもしれないが珍しいタンナーだった)
色んな物を作るには技術的には向上するチャンスは多いに有るが、商売的には幅広く作っている分、下手なのかもしれない(笑) …かもじゃない下手だ。

親父は色んな用途の革を作ってきたから、グラブ革の難しさが解ると言う。(俺も同意見)
グラブレザーは、とにかく要望が多い。
とにかく丈夫であること。しかし○○○○○○...では駄目である。
沢山有るが書けないのが残念...(事情がありまして...) 

メーカーに選ばれたからといっても、すんなり事が進んだ訳では無かった。
今も昔も革の傷等に対して、厳しかった。
メーカーのこだわりも凄かった。

こんな話を親父から聞いたことがある。
原皮事情は時々、傷が多い時期というのがある。(世界基準でどこかの国が大量に革の使用量が片寄ると使用量が少ない所には良いのが回ってこない)
当時は世界基準が国内基準が解らないが、沼田には望む原皮が来なかった時期があった。(俺も散々悩ませれた(笑) 仕入先を変えたら、今は良くして貰っている。感謝している)
そんな時期とグラブレザー作り開始が重なったのだった。
グラブレザーは『素上げ(薄化粧 素肌)』といって、革にコーティングを一切しないので傷等がむき出しになる。そのため、元の原皮が良くないとグラブ用が取れない。
メーカーとして『さぁ!これから売りだうぞ!』って時に 肝心な革が入って来ない、グラブが作れない!という事が起こってしまった。
メーカー側からこんな意見も飛び出した。
『単価を値上げしたい為に、沼田が駆け引きをして革をださないのでは?』と。
真面目な親父としては、そんなつもりは無く単純にグラブに適する等級の革が取れなかっただけであった。
そこでメーカーのトップの方が、親父に確認しに来た。

結果、
『沼田さんは革のプロなんだから、つべこべ言わず沼田さんを信用しろ!』とひと言で事は治まったという。
『流石、この大手メーカーのトップの人は貫禄が違う』と、幾度か親父が言っていたのを思い出す。
もし、この一言が無ければ、どうなっていたかは想像がつく(笑)

他には、メーカーはグラブの感触には相当拘りが強かったようだ。
人間の肌のような...
それも○性の○○○○の様な...との要望。
(○の部分は工場見学にて)
牛の革を人間の肌の様にしろと言うのだ...(それは柔らかくすれば良いという簡単な事では無かった)
どのようにしたかと言う事は、企業秘密なので書けないが、何度も試作を繰り返し作り上げたと聞いている。
現在は昔以上の感触の革を工場見学で見せています。
また、1988年作製の革もお見せしています(貴重です(笑))
…………………………………………………………………💦
実は、……線までは、その3が書き終えた後直ぐに、とうに書いていたが ここからが何故か書けないでいた。
その4はこの辺で一旦区切り、投稿する事にした。














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